
メディアは何を見たのか?
『「謎というほかない。何が原因か、はっきり分かっているとはいえない」。米連邦準備制度理事会(FRB)のイエレン議長は9月20日の記者会見で、物価低迷に関しこう述べた。』
経済活動によって得た付加価値部分がどう分配されるか。OECDの成長分の所得配分は四公六民、1%のエリート富裕層に成長分の40%が集中し、残りを99%の喰われる層に分配して先進国の欲望が満たされている。
全く賃金に回らない上に株主と内部留保に回って経済の見通しは欲望よりも政策に支配される。この分配原理のシフトは深刻な資本主義のアニマルな側面の死をもたらす。もちろん人間の欲望がなくなるわけではない。しかし配当の分配の良い株式ほど機関投資家に成長分が回されるように支配されている。賃金の分配もまたすでに十分に貰っている従業員や応募者、必要性の高い採用者に先に回る。寡占や独占とは異なる付加価値分配の機関隔離、成長のプリミティブな欲望(より速く、より遠く、より大きく、より安逸に)からの隔離が資本主義の病魔となっている。
追補
武田薬品工業のフランス人ウェバー社長によると役員に日本人が少ないのは武田に人材がいないということらしいが、事実はそうではない。
現実に起きているのは報酬を受け取る側のコミュニティに所属していないという報酬の水平分業による隔離ということであって、ウェバーほどの学識の人材が日本にいないということではない。これにより業界の欲望が500人分消滅した。
追補2017.10.17
『10月8日付日本経済新聞のインタビューで、武田薬品工業のクリストフ・ウェバー社長が「私自身は2025年まで経営にかかわるつもりだ」と語った。同社内には、失望と深いため息が広がっているという。』

追補2017-10-9
祝ノーベル賞 ホモエコノミカス(合理的経済人)を批判したリチャード・セイラー教授の『行動経済学の逆襲』の通り、人間の欲望は合理的ではない。だからこそ経済成長からプリミティブな欲望をホモエコノミカス(合理的経済人)を前提として隔離することは気づかない経済破壊となる。
欧州で大気中の放射線量の急上昇を記録
スプートニク日本
大気中のルテニウム106の濃度上昇は9月29日から、ドイツやイタリア、オーストリア、スイス、フランスといった西欧、中欧諸国で観測されている。
ドイツ連邦放射線防護局は、大気中の放射能の上昇が人間の健康を脅かすものではないと指摘する。
ルテニウム106は放射線療法、特に眼腫瘍の治療のために使用される。また、人口衛星の燃料電池にも使われている。
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さて週刊金曜日の常連 浜矩(のり)子(おれもいろいろ読みすぎだよなあ。)がこんなことを書いている。マット・タイビのいう組織化された貪欲っていうのは、隔離された成長に近いこと(クローニー資本主義)を言っているのかも知れないが、貪欲に求心力がないというのはどうかとおもうね。大衆性はないだろうが、現に機関投資家は成長産業に群がっているではないか。ほんとうにこの人エコノミストなのかね?マット・タイビの言う組織化された貪欲というのは金融資本による政策執行部門の乗っ取りのことで、教育無償化などという飴玉と見立てた安倍晋三のような政治ではない。週刊金曜日版天声人語ならイメージ操作が許されるのかな。(おれもいろいろ読みすぎだよなあ。)
『政治評論家マット・タイビが、AIG救済問題の真相を追及します。タイビによれば、世界的規模の経済破たんと政府による救済措置は一種のクーデターです。金融業界は長年にわたり選挙を金で動かし、金融規制を骨抜きにしてきましたが、ついに今回の金融危機で、少人数のウォール街インサイダーによる政府の乗っ取りが完成したのだと言います。今回の金融危機で目立つのが、ゴールドマン・サックスの焼け太りです。AIG救済問題も、じつはゴールドマン・サックスの救済だったとタイビは言います。』video マット・タイビ(Matt Taibbi,)ローリングストーン誌のコラムニストで、他にも様々な雑誌に政治評論を書いている。1990年代の大半を旧ソ連で過ごし、モスクワの英字フリーペーパーThe eXile.の共同編集者として活躍し、The Exile: Sex, Drugs, and Libel in the New Russiaを共同執筆した。他にも著書多数。番組で取り上げられた記事はローリングストーン誌3月23日号に掲載されたThe Big Takeover(巨大な乗っ取り)。
『1970年生まれのマット・タイビが次のように言っている。「自由市場と自由選挙を基盤とする社会においては、必ず、組織化された貪欲が組織されざる民主主義に勝利する。」
マット・タイビはジャーナリストであり、文筆家だ。アメリカ社会の矛盾と混迷を衝いて舌鋒鋭い。組織化された貪欲は、確かに怖い。何が何でも、その下心を実現すべく、組織的に動く。組織化された貪欲・イン・アクション。この間の日本の政治と政策が、われわれにそれをいやというほど見せつけてくれ続けてきた。
それに対して、民主主義はそもそも妙に組織化されないところがいい。組織なく、枠組みなく、強制なし。でも、民主主義は生きている。でも、民主主義は立ち上がる。それが民主主義の本質的美学だろう。
その意味で、マット・タイビが組織的貪欲の必勝を主張するのは、少々、悲観がすぎるかもしれない。貪欲に美学はない。貪欲に自然発生的求心力はない。だからこそ、必死で組織化しなければならない。だからこそ、そこに強制と規律が必要になる。枠組みが崩れれば、貪欲もまた脆くも崩れる。
また少し、時代を巻き戻そう。第16代米国大統領、エイブラハム・リンカーンいわく、「バロット(投票箱:ballot)はブレット(弾丸:bullet)より強し」。素晴らしい言葉だ。その通りである。だが、大義なく唐突にバロットを国民につきつけてくる者たちが、ブレット大好き集団だったらどうするか。ブレットを良しとする方向に人々を引っ張って行く。それが可能になるために、突如としてバロットを持ち出して来ている場合には、どうすればいいのか。
これに対して、リンカーンは答えを与えてくれていない。当然のことだ。そもそも、ブレット狙いでバロットに頼ろうとするような者たちが出現するなどということを、まともな精神の持ち主は考えもしない。貪欲の組織化、ここに極まれり。悪に根ざす蜜の甘言、これを越えることなし。危険な珍味を断固拒絶すべしだ。(はま のりこ・エコノミスト。9月29日号)』