ところが 、明治六年の政変で維新の三傑と言われた元勲が分裂します 。朝鮮問題をめぐり 、大久保利通 &木戸孝允と西郷隆盛が大喧嘩を始めるのです 。世に言う 、征韓論争です 。結果は大久保らが勝利 、敗れた西郷はすべての官職を辞職 、政府の役人の半分も西郷に従って辞めていきました 。この時 、土佐の領袖である板垣退助と後藤象二郎も辞めていきます 。肥前は 、反薩長の首魁であった江藤新平は辞職しますが 、大隈重信は大久保に従います 。薩摩人の大半が西郷に従いましたので 、事実上の政府首班である大久保は 、長州と大隈らの支持で政権を維持する格好になります 。なおこの過程を 、西郷側から描いたのが 『工作員 ・西郷隆盛 』 (講談社 、二〇一七年 ) 、大久保側から描いたのが 『日本史上最高の英雄大久保利通 』 (徳間書店 、二〇一八年 )です 。著者名は忘れましたが 、同じ人です 。どちらも涙無くして読めない傑作ですので 、お買い求めください 。
とあるので読んでみよう。
喧嘩上手な高杉晋作禁門の変と西郷の初陣勝海舟との会談単身長州に乗り込んだ西郷天狗党の乱 、慶喜への嫌悪薩長同盟を模索坂本龍馬は歴史ファンタジ ー薩長同盟の諸説そもそも 「同盟 」とは何か ?無かったことにできる同盟英国公使パ ークスと兵庫開港問題大久保利通一世一代の名場面第二次長州征伐に中立を守った薩摩慶喜ついに将軍にフランス型行政府 、慶応の改革薩摩の 「少数野党結集 」策未来への意思
西郷隆盛の記憶 渋沢栄一の場合 「論語と算盤」より 興国安民法
西郷公は私に向かわれ、かくかくしかじかの次第ゆえ、折角の良法を廃絶さしてしまうのも惜しいから、渋沢の取り計らいでこの法の立ち行くよう、相馬藩のために尽力してくれぬか、と言われたので、私は西郷公に向かい、「そんなら貴公は、二宮の興国安民法とはどんなものか御承知であるか」と御訊ねすると、「ソレハ一向に承知せぬ」とのこと。「どんなものかも知らずに、これを廃絶せしめぬようとの御依頼は、甚だ持って腑に落ちぬわけであるが、御存知なしとあらば致し方がない、私から御説明申し上げよう」と。その頃すでに、私は興国安民法について充分取り調べてあったので、詳しく申し述べることにした。 二宮先生は相馬藩に招聘せらるるや、まず同藩の過去百八十年間における詳細の歳入統計を作成し、この百八十年を六十宛に分けて天地人の三才とし、その中位の地に当たる六十年間の平均歳入を同藩の平年歳入と見做し、さらにまた、この百八十年を九十年宛に分けて乾坤の二つとし、収入の少ない方に当たる坤の九十年間の平均歳入額を標準にして、藩の歳出額を決定し、これにより一切の藩費を支弁し、もしその年の歳入が、幸いにも坤の平均歳入予算以上の自然増収となり、剰余額を生じたる場合には、これをもって荒蕪地を開墾し、開墾して新たに得たる新田畝は、開墾の当事者に与えることにする法を定められたのである。これが相馬藩の、いわゆる興国安民法なるものであった。 西郷公は、私がかく詳細に二宮先生の興国安民法について、説明する所を聞かれて、「そんならそれは量入以為出(入るを量りもって出るをなす)の道にも適い、誠に結構なことであるから、廃止せぬようにしてもよいではないか」とのことであった。よって、私はここで平素自分の抱持する財政意見を言っておくべき好機会だと思ったので、如何にも仰せの通りである。二宮先生の遺された興国安民法を廃止せず、これを引き続き実行すれば、それで相馬一藩は必ず立ち行くべく、今後ともに益々繁昌するのであろうが、国家のために興国安民法を講ずるが、相馬藩における興国安民法の存廃を念とするよりも、さらに一層の急務である。西郷参議におかせられては、相馬一藩の興国安民法は、大事であるによってぜひ廃絶させぬようにしたいが、国家の興国安民法はこれを講ぜずに、そのままに致しおいても差し支えないとの御所存であるか、承りたい。苟も一国を双肩に荷われて、国政料理の大任に当たらるる参議の御身をもって、国家の小局部なる相馬一藩の興国安民法のためには御奔走あらせらるるが、一国の興国安民法を如何にすべきかについての御賢慮なきは、近頃もってその意を得ぬ次第、本末顚倒の甚だしきものであると、切論いたすと、西郷公はこれに対し、別に何とも言われず、黙々として茅屋を辞し還られてしまった。とにかく、維新の豪傑のうちで、知らざるを知らずとして、毫も虚飾の無かった人物は西郷公で、実に敬仰に堪えぬ次第である。
1954年
東京でAPACL第八回大会
大会議長岸信介、事務局長加瀬俊一(外務官僚)、以下谷正之(同東条内閣閣僚)、石井光次郎〈自民党顧問) 中曽根康弘(自民党議員)、御手洗辰堆(評論家)、矢次一夫(国際研究会理事)、商杉普一(三菱電機会長)、堀越禎一(経団連事務局長)、椎名悦三郎(自民党議員)、松下正寿(立大教授)、細川隆元(評論家)、小林中(経団連理事)ら三十五名が出席、アメリカ・マーフィ元駐日大使ら外国代表八十六名