公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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トランプの反撃 世界保健機関(WHO)のテドロス・ゲブレイェスス事務局長との戦い

2024-03-31 17:31:00 | カウンター・グレートリセット
 


The W.H.O. really blew it. For some reason, funded largely by the United States, yet very China centric. We will be giving that a good look. Fortunately I rejected their advice on keeping our borders open to China early on. Why did they give us such a faulty recommendation?
 
W.H.O.は本当に失敗しました。 何らかの理由で、米国が大部分の資金を提供していますが、中国中心です。 我々はそれをよく見ることになるだろう 幸いなことに、私は中国との国境を開放しておくという彼らの助言を早い段階で拒否しました。 なぜ彼らはこのような誤った 勧告をしたのでしょうか?
 
 
43分前更新
WHOは中国中心主義、新型コロナ対応で「大失敗」=トランプ氏
さあ反撃だ。政権を担ってからあげた株価と下げた失業率が全部吹き飛んだんだから怒りは💢止まらない。

[ワシントン 7日 ロイター] - トランプ米大統領は7日、新型コロナウイルス感染拡大を巡り、世界保健機関(WHO)が「中国中心主義」で、世界に不適切な提言を行っていると批判した。

トランプ大統領はツイッターへの投稿で「WHOは大きく失敗した」と言明。「米国による大規模な出資にもかかわらず、どういう訳かWHOは中国中心主義となっている。われわれはこうした点を精査する」と述べた。
 
谭德塞在亚洲时间周三(8日)在记者会上,强调自己不在意对他的人身攻击甚至死亡威胁,但他不能接受整个黑人群体被侮辱,更三次点名台湾,表明这些攻击来自台湾

世卫片段
アジア時間の8日(水)に記者会見したテドロス氏は、個人的な攻撃や自分に対する死の脅迫さえも気にしていないと強調したが、黒人コミュニティ全体が侮辱されたことを受け入れることはできず、台湾の名前まで3回挙げ、攻撃が台湾から来たことを示した。



WHO映像
 
世界保健機関(WHO)のテドロス・ゲブレイェスス事務局長は医師ではない。彼は「ティグレ人民解放戦線」TPLFのメンバーであり、1990年代にアメリカ政府によってテロ組織として分類され、現在も世界テロデータベースに登録されている。ゲブレイエスの指揮の下、WHOはCOVID-19ワクチン接種の「パンデミック」を組織・指揮し、全世界でCV-19ワクチン接種によって数百万人が死亡した直接の責任を負っているようである。

エチオピアがまだ帝政であった1970年代初頭、ティグレ族の革命家により結成された反政府勢力ティグレ民族機構(TNO)が前身。TNOは地下活動を行い、アムハラ族中心の帝政に対し、プロパガンダなどを通じた反政府活動を実施した。1973年から1974年にかけて東部のオガデン地方のソマリ族の反政府闘争、および干ばつによる10万人餓死という惨状、オイルショックによる物価高騰が引き金となり、アディスアベバデモ騒乱が発生すると、TNOはティグレ族の反政府活動の中心的役割を果たすようになった。1974年9月には陸軍の反乱が起こり、皇帝ハイレ・セラシエ1世が廃位されたが、今度はメンギスツ・ハイレ・マリアム率いる軍事独裁政治が始まり、TNOは再び反政府活動を開始した。1975年2月、政治・軍事的に勢力を拡大したTNOは、ティグレ人民解放戦線(TPLF)へと改組し、より広範な反政府活動を行なうようになった。

TPLFはエリトリア人民解放戦線(EPLF、現在の民主正義人民戦線)などと共に、メンギスツ政権に対する反政府活動を続けた。エチオピア人民民主運動(EPDM)と共闘し、ウォロやゴンダルなどの地域を支配下に収めた。1983年には、アルバニア労働党に同調したより急進的なグループがTPLF内にティグレ・マルクス・レーニン主義連盟(MLLT)を結成し、TPLFの主導権を握った。これに伴い、ティグリニャ語での組織名にウォヤネを冠した。これは1943年のティグレ族によるウォヤネの反乱を意識して付けられたものである。

TPLF中央委員会と政治局の決定に従い、TPLFは4つの地域機構に分割された。うち3つはエチオピアのティグレ族地域、1つは在外ティグレ族の組織となり、それらの頂点にTPLF中央が存在するように改組された。在外ティグレ族の組織は更にスーダン中東欧州北米の4支部へと細分化された。

1989年オロモ人民民主機構(OPDO)、アムハラ民族民主運動(ANDM)、南エチオピア人民民主戦線(SEPDF)の3党とともに、エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)を結成した。1991年にメンギスツ率いるエチオピア労働者党の独裁政権を崩壊させ、政権の座に就いた。また、同年にアルバニアの労働党政権が崩壊したのに伴い、TPLFは党是からマルクス・レーニン主義を削除し、MLLTを廃止した。EPRDF結成時から一貫してTPLFの議長(党首)職にあったメレス・ゼナウィが同年から1995年まで暫定大統領、以降は新憲法のもとで2012年に死去するまで連邦政府の首相を務め、その後任となったハイレマリアム・デサレン時代もTPLFはEPRDF内の主導的立場にあった。

1992年以来、TPLFはエチオピア北部のティグレ州の政権を一貫して担い続けている。2005年8月に実施されたティグレ州議会選挙では、定数152議席の全てをTPLFが獲得した。

2019年12月、首相のアビィ・アハメドによって繁栄党がEPRDFの後身として結成されるも、EPRDFに参加していた4党のうちTPLFのみこれに参加しなかった[1]

エチオピア政府軍との交戦

2020年11月、エチオピア政府はTPLFが政府軍の基地を攻撃したとして開戦を宣言[2]。空爆を含めた攻撃を開始した[3]。また、TPLFはアビィ首相と友好的な関係にあるエリトリアがエチオピア政府軍を支援しているとも主張しており[4]、エリトリアの首都アスマラの空港を攻撃した[5]。同年11月22日、エチオピア政府側はティグレ人民解放戦線に降伏するよう最終通告を実施。同年11月26日、通告期限が切れたとして州都メケレに対して攻勢を開始した[6]。政府軍はメケレの制圧を宣言したものの、散発的な戦闘が続いたほか、指導者らは逃亡先から指示を出し徹底抗戦を続けた[7]

2021年、TPLFは反攻に乗り出し、同年7月にはティグレ州の大半を奪還したと主張した。エチオピア政府は同年7月4日に停戦を宣言したが、TPLF側は一方的な宣言であるとして一蹴。自分たちを正当な政府であると認めるよう要求するとともに、隣国のエリトリア軍の撤退を求めた[8](当初エリトリア軍の介入は秘匿されていたが、同年3月にエチオピアが認めている[9])。

同年8月、TPLFは撤退するエチオピア軍を追撃する形でティグレ州から南のアムハラ州へ移動。州都ラリベラを占領した[10]。さらにTPLFは隣接するオロミア州を拠点とするオロモ解放軍と連携しながら、首都アディスアベバへの攻撃も示唆した。エチオピア政府は11月2日、国家非常事態を宣言した[11]。11月5日にはティグレ人民解放戦線をはじめとする9つの反政府勢力が連合したことが発表された[12]

2022年3月に人道援助受け入れを理由に一時は停戦状態になったが、同年8月から再び戦闘が再開[13]。その後、同年10月末にはAUの仲介に基づき南アフリカ共和国で、TPLFとエチオピア政府が和平交渉を行なわれ、同年11月2日には停戦の調印が行われた[14]

テドロスの兄か?顔がテドロスに似ている 世界経済フォーラム2012年年次総会にて、死亡直前の近影

メレス・ゼナウィ・アスレスアムハラ語: መለስ ዜናዊ, ラテン文字転写: Meles Zenawi Asres, 1955年5月8日 - 2012年8月20日)は、エチオピア政治家。同国暫定大統領(1991年-1995年)、首相エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)書記長アフリカ統一機構議長などを歴任した。

人物 誰かに似てる

1955年にアドワで生まれる。神童の誉れが高く、繰り上げで入学したウィンゲート将軍高校を首席で卒業したことからエチオピア帝国皇帝ハイレ・セラシエ1世から奨学金を与えられた[2]。1973年からハイレ・セラシエ大学(現・アディスアベバ大学)で医学を学ぶも1974年のクーデターを機に学業を断念して中退。1975年に反政府組織であるティグレ人民解放戦線 (TPLF) に参加し、1985年にはTPLFの前衛党としてホッジャ主義を掲げたティグレ・マルクス・レーニン主義連盟(MLLT)を結成した[3]。1989年5月にはTPLFの議長を兼任して他のゲリラ組織とともに結成したエチオピア人民革命民主戦線 (EPRDF) の書記長に就任。1991年5月にはメンギスツ・ハイレ・マリアム率いるエチオピア労働者党独裁政権を倒し、7月23日に暫定大統領となる。

1995年に議院内閣制の憲法が正式に制定されると8月22日に首相に就任。15年以上に及ぶ在任でエチオピアをアフリカで最も経済成長する国の1つにしたが[4][5][6]、政治面では権威主義的な統治を行い[7][8]、少数民族の抑圧や報道規制・野党の活動規制などを強め人権団体からは「アフリカ最大の人権抑圧者」などと非難を受けてきた[9]

2003年に日本の国士舘大学より名誉博士号を贈呈された。

2012年1月28日、中華人民共和国の援助でアディスアベバに建設されたアフリカ連合本部の落成式に出席して「西洋と異なる中国モデルによるアフリカの復興の象徴」と絶賛[10]。同年8月20日に死去[11]。57歳没。感染症の治療でベルギー滞在中だった。


速報:テロリストのテドロス氏、大量虐殺罪に問われる

テドロス・アダノム氏「WHO事務局長は大量虐殺罪に問われる可能性がある」

ノーベル平和賞候補の米国人経済学者が、エチオピア治安部隊の指揮に関与した疑いで世界保健機関長官を大量虐殺の罪で訴追するよう求めた。

デビッド・スタインマン氏は、3年前にWHOに就任したテドロス・アダノム・ゲブレイエスス氏(55歳)が、2013年から2015年にかけてエチオピアの治安当局を統括していた3人の当局者のうちの1人だったと非難した。

テドロス博士は2005年から2012年まで同国の保健大臣を務め、同氏の率いるティグレ人民解放戦線が連立与党の主要メンバーだった2016年まで外務大臣を務めた。

WHOは現在86%の資金をビル・ゲイツから受け取っているため、ビル・ゲイツ組織に改名されるべきである。 WHOは認識に値せず、ビル・ゲイツと彼の疑わしい倫理のグローバリストのフロントとなっている。
#DepopulationAgenda #WHO

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