『外務省は12日、30年以上前の外交文書の一部を公開した。1983年に、当時の中曽根首相が訪米した際に、日本列島を「不沈空母」と発言したことに関する資料が、初めて公開された。
取り扱い注意とされた文書には、1983年1月に訪米した当時の中曽根首相が、アメリカの新聞社「ワシントン・ポスト」との朝食会で、「日本列島を不沈空母のように強力に防衛する」と発言したと記録されていた。
この発言を、当時ポスト紙が報道したところ、日本国内で批判が巻き起こり、中曽根氏は、通訳による誤訳として発言を否定するなど、説明が二転三転した。
今回の公開により、実際に「不沈空母」発言があったことが明らかになった形。
また、1983年のソ連による大韓航空機撃墜事件に関する資料も公開され、自衛隊が傍受したソ連軍の交信記録を、日本とアメリカが、即座に共有していた状況が明らかになった。』【1983年9月1日、領空侵犯した大韓航空機がソ連(当時)の戦闘機に撃墜され、日本人27人を含む269人が死亡した。】
中曽根は生きているがこの時の通訳者 村松増美氏は2013年3月3日、82歳でなくなっている。アポロ11号の同時通訳などで活躍した、子供ながらこの人すごい人だな-という目で見ていた思い出がある。《中曽根氏は帰国前の記者会見で発言を否定したものの、帰国中の機内では一転して認め、国会でも同様の答弁。政界引退後のインタビューでは「通訳が、だいぶ意訳をした」「正確ではないと気付いたが、この方が分かりやすく、異を立てなかった」と話した。》死人に口なしだな。
政治家がどう言おうと発言は当時既成事実と国民が認識していた。明らかに米国のマスコミ内部から漏洩した言質だったのだろう。
1983年当時の米ソの緊張感は異常なものがあった。ワシントンポストがホワイトハウスの許可なく記事にするはずもない。
1983年 癸亥(みずのとい、きがい)
1980年 庚申(かのえさる、こうしん)
庚申は干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされた。庚申に続く辛酉も金性が重なり、かつ辛は陰の気なので冷酷さがより増すとされた。そのため、庚申・辛酉は政治的変革が起こるとされ、それを防ぐために2年続けて改元が行われることも多かった。辛酉革命もその考えによる。例えば万延元年(1860年)と文久元年(1861年)などである。
1860年3月24日(安政7年3月3日) - 桜田門外の変で、大老井伊直弼が暗殺される。
1860年4月8日(万延元年3月18日) - 元号が安政から万延に改元
1860年11月6日 - エイブラハム・リンカーンがアメリカ合衆国大統領に当選。
1980年5月18日 - 韓国、光州事件。死者154人。
1980年9月17日 - ポーランドで独立自主管理労働組合「連帯」が結成される。
ヒトラー2039年の予言 翌年は庚申
『こうして人類は、完全に2つに分かれる。天と地のように、2つに分かれた進化の方向を、それぞれ進みはじめる。一方は限りなく神に近いものへ、他方は限りなく機械的生物に近いものへ。これが2039年の人類だ。その先もずっと人類はこの状態を続ける。
補筆【超人とは人工知能と結合した知性を活用できる不労階級】
そしておそらく2089年から2999年にかけて、完全な神々と完全な機械的生物だけの世界が出来上がる。地上には機械的生物の群れが住み、神々がそれを宇宙から支配するようになるのだ。」』補筆【機械的生物とはゴイムと呼ばれる情報薄弱生物のことだろう。】
今年、丁酉年は相克火剋金(かこくごん)
火は金属を熔かす。金性が和らぐ。
助教授だった大石先生が不沈空母は英語でなんと言うなんて茶飲み話をした思い出がある。当時の学生は武家屋敷の中間か明治の書生の様な者で、用事も無いのに待機していなければならないのが苦痛だった。
アメリカ、ニューヨークのトランプタワーに、ことし春に行われるフランスの大統領選挙で有力候補になると見られている極右政党のルペン党首が姿を現し、欧米メディアは、トランプ次期大統領とルペン氏が接触するのではないかと報じるなど関心を集めました。NHK
空母と言えば、カール・ヴィンソンUSS70が南沙諸島に向かっている この空母は退役まぢかだから。
それにしてもなぜビンラディンの遺体をカール・ヴィンソンから海に捨てたのか?
『[ワシントン 2日 ロイター] パキスタンで米国部隊に殺害されたウサマ・ビンラディン容疑者の遺体が2日、アラビア海で水葬された。水葬に際し、米軍によるイスラム教の教義に則った葬儀が原子力空母「カール・ビンソン」で行われた。ジョン・ブレナン米大統領補佐官が明らかにした。
米政府は海への水葬を決定した理由として、時間上の制約から最適の方法だったと説明。イスラム教では伝統的に死亡から24時間以内に遺体を埋葬する必要があり、埋葬のためにパキスタン国外に遺体を輸送する十分な時間がなかったという。
遺体を水葬にしたとのニュースを受け、地上に埋葬しなかったのは非イスラム的として非難の声が上がっているほか、ビンラディン容疑者の遺体は出身国であるサウジアラビアに葬られるべきだったとする意見も出ている。ただ、米国としては、同容疑者の「墓」を海とすることで、一部過激派が埋葬場所を聖地化することを避ける意図もあったもよう。
ブレナン補佐官は、米政府はビンラディン容疑者の遺体写真の公表についてまだ決定していないとし、水葬を撮影したビデオの公表も未定と述べた。
水葬は米東部時間2日午前1時10分(日本時間2日午後2時10分)から約50分間行われた。洗浄され白い布に包まれた遺体を前に、アラビア語に通訳された宗教的な言葉が唱えられ、遺体はその後、重しをつけた袋に入れられて空母のエスカレーターから海に流された。』