1840年に勃発したアヘン戦争という《夷狄》の攻撃を引き金に版籍を侵された末期清朝描いた毎日出版文化賞受賞作品
林則徐に与えられた権限がほとんどオールマイティなのにおどろく。清朝の本気を叩き潰した側の論理は、財産と生命が侵されたという理屈。これは今も変わらないのでは?75000倍の価格で販売していた阿片にそんな理屈は貪りの罪を認めているようなものだ。
阿片を知らずして、19世紀の亜細亜は語れない。日本も語れない。台湾人を阿片から救ったのも日本人だが苦しめたのも日本人。
儲かりすぎる阿片があらゆる民族の狂気に関係している。
はじめは「うまいもの」ではなく、阿片の味を知るには2ヶ月かかると南部修太郎が書いているから、この習俗が見られなくなるまで、後藤新平の政策から50年もかかることになる。
手間のかかる中毒はやがてもっと即効性のあるものヘロインなどに置き換えられていった。
阿片の味
南部修太郎
その阿片を、私は上海でただ一度生れて初めて吸飮してみた。三ヶ月の支那旅行を終つて、いよいよ明日は日本へ歸ると云ふ前夜、向うで知り合つた二三の友人と別宴を交し可成り醉つてゐた處を例の黄苞車ワンパオツオオでぐるぐる引きまはされたあとなのでどこのどう云ふ處にあつたのか覺えてゐないが、とにかく法租界の暗い裏町にある二流どこの阿片窟だ。勿論それは支那の、而も惡の都上海でも御法度の家で、友人の案内を受けながらまつ暗な狹い路次を曲り曲つてやがてはひつたのが私人の宅らしい感じの二階建、如何にも探偵小説めいてゐるが、外からは燈灯さへ見えないその家のまつ暗な中庭から、扉をあけて進み入るとこれもまつ暗なまるで物置のやうながらんとした部屋なのだ。そしてその一隅にある傾斜の急な階段を手探りに登つて、登りついた二階の廊下の扉を開くと電燈のぱつとした、十疊ほどの長い廣間だ。
『入らつしやい…………』
まあさう云つたことで、壁際の支那風の椅子に腰かけてゐた三四人の若い女が立ち上る。何れも前髮を垂らした、日本なら潰し島田とか云ふ風な玄人特有の髮に結ひ上げて模樣のある黒繻子かなんかの上着に、半ズボンをはき、足には刺繍のある支那靴。まがひ翡翠の耳飾りに金鑛金らしい指輪、大概毒々しいほどに唇を染めてゐる。そして、遣手婆格の、極まつて小肥りに肥つた、[#「、」は底本では「。」]慾の深さうな、厚顏に馴れてもう表情の無くなつたとでも云ふやうな婆さんが茶を持つて來たりして、客と女達の間をあつせんするのが常だが、こゝでも無論同樣だつた。
『どう阿片をやつてみませんか?』
友が云つた。
『やつてみませう。』
私はこはごはながら頷いた。[#「。」は底本ではなし]
部屋の一端に支那風の四角な寢臺が置いてある。友に教へられて、私はその上に横になつた。すぐ眼の前に豆ランプ、それを間にして同時に女の一人が向ひ合せに横になる。[#「。」は底本ではなし]そして、私は女の手振をぢつと眺めてゐる。と、ちよつと形の説明に困るが、大福餅ほどの大きさと形を持つた雁首に火吹竹ほどの柄をつけた阿片吸飮具を左手にとつた女は右手の耳かき樣なもので枕元の小鑵からちやうどにかわを少しゆるめたやうな褐色の半液體をすくひ上げて、雁首の表面の小さな孔の邊へぬすりつける。そして、そのぬすりつけた處を豆ランプの火焔にかざして、柄の一端に唇を當てながら劇しく吸ふ。ぽやつと芳ばしい匂ひが鼻先にくる。[#「。」は底本ではなし]女はやがてそれを私に渡して同じやうに吸つてみろと云ふ事を手振口振で示す。無論、私が支那語に全く通じないからだ。
さて、受け取つたのを口に當てて、日本の煙管を吸ふやうな積りで、雁首の孔の處を豆ランプにかざしながら私は三四度ゆつくり吸つてみたと女が駄目だ、もつと激しく吸へとまた手振口振で教へる。これはあとで分つたのだが、ゆつくり吸ふのでは、火焔で煮え立つ半液體が孔をふさいでしまふからなのだ。私は頷いて、ちやうど火吹竹を構へるやうな工合に兩手で柄を握つて、スウツスウツと云ふほどに劇しく吸息を繰り返した。[#「。」は底本ではなし]と、なるほど、今度は孔も塞がらずに、煙草樣の煙が口の中へはひつてくる。が、口ではちよつと云へない特種の強い匂ひは持つてゐるが、それはいい葉卷のやうな嬉しい薫りでもなく、また格別舌に觸れて有難い風味を持つてもゐなかつた。煙草にすれば、十本何錢程度の安煙草の格で、吸つてゐて一向うまくも何ともない。そして、女は三四度半液體の塗り直しをやつてくれて、盛に吸ひつづけてみたが、豫想してゐたやうな快い恍惚状態に達しもせずと云つて、更に催欲的にもならなかつた。 青空文庫より
南部修太郎
その阿片を、私は上海でただ一度生れて初めて吸飮してみた。三ヶ月の支那旅行を終つて、いよいよ明日は日本へ歸ると云ふ前夜、向うで知り合つた二三の友人と別宴を交し可成り醉つてゐた處を例の黄苞車ワンパオツオオでぐるぐる引きまはされたあとなのでどこのどう云ふ處にあつたのか覺えてゐないが、とにかく法租界の暗い裏町にある二流どこの阿片窟だ。勿論それは支那の、而も惡の都上海でも御法度の家で、友人の案内を受けながらまつ暗な狹い路次を曲り曲つてやがてはひつたのが私人の宅らしい感じの二階建、如何にも探偵小説めいてゐるが、外からは燈灯さへ見えないその家のまつ暗な中庭から、扉をあけて進み入るとこれもまつ暗なまるで物置のやうながらんとした部屋なのだ。そしてその一隅にある傾斜の急な階段を手探りに登つて、登りついた二階の廊下の扉を開くと電燈のぱつとした、十疊ほどの長い廣間だ。
『入らつしやい…………』
まあさう云つたことで、壁際の支那風の椅子に腰かけてゐた三四人の若い女が立ち上る。何れも前髮を垂らした、日本なら潰し島田とか云ふ風な玄人特有の髮に結ひ上げて模樣のある黒繻子かなんかの上着に、半ズボンをはき、足には刺繍のある支那靴。まがひ翡翠の耳飾りに金鑛金らしい指輪、大概毒々しいほどに唇を染めてゐる。そして、遣手婆格の、極まつて小肥りに肥つた、[#「、」は底本では「。」]慾の深さうな、厚顏に馴れてもう表情の無くなつたとでも云ふやうな婆さんが茶を持つて來たりして、客と女達の間をあつせんするのが常だが、こゝでも無論同樣だつた。
『どう阿片をやつてみませんか?』
友が云つた。
『やつてみませう。』
私はこはごはながら頷いた。[#「。」は底本ではなし]
部屋の一端に支那風の四角な寢臺が置いてある。友に教へられて、私はその上に横になつた。すぐ眼の前に豆ランプ、それを間にして同時に女の一人が向ひ合せに横になる。[#「。」は底本ではなし]そして、私は女の手振をぢつと眺めてゐる。と、ちよつと形の説明に困るが、大福餅ほどの大きさと形を持つた雁首に火吹竹ほどの柄をつけた阿片吸飮具を左手にとつた女は右手の耳かき樣なもので枕元の小鑵からちやうどにかわを少しゆるめたやうな褐色の半液體をすくひ上げて、雁首の表面の小さな孔の邊へぬすりつける。そして、そのぬすりつけた處を豆ランプの火焔にかざして、柄の一端に唇を當てながら劇しく吸ふ。ぽやつと芳ばしい匂ひが鼻先にくる。[#「。」は底本ではなし]女はやがてそれを私に渡して同じやうに吸つてみろと云ふ事を手振口振で示す。無論、私が支那語に全く通じないからだ。
さて、受け取つたのを口に當てて、日本の煙管を吸ふやうな積りで、雁首の孔の處を豆ランプにかざしながら私は三四度ゆつくり吸つてみたと女が駄目だ、もつと激しく吸へとまた手振口振で教へる。これはあとで分つたのだが、ゆつくり吸ふのでは、火焔で煮え立つ半液體が孔をふさいでしまふからなのだ。私は頷いて、ちやうど火吹竹を構へるやうな工合に兩手で柄を握つて、スウツスウツと云ふほどに劇しく吸息を繰り返した。[#「。」は底本ではなし]と、なるほど、今度は孔も塞がらずに、煙草樣の煙が口の中へはひつてくる。が、口ではちよつと云へない特種の強い匂ひは持つてゐるが、それはいい葉卷のやうな嬉しい薫りでもなく、また格別舌に觸れて有難い風味を持つてもゐなかつた。煙草にすれば、十本何錢程度の安煙草の格で、吸つてゐて一向うまくも何ともない。そして、女は三四度半液體の塗り直しをやつてくれて、盛に吸ひつづけてみたが、豫想してゐたやうな快い恍惚状態に達しもせずと云つて、更に催欲的にもならなかつた。 青空文庫より
「風見章日記・関係資料 1936―1947」
子供が発見された!
中国陝西省に住む13歳の張美優さんは5月上旬、登校中に行方不明になり、両親が捜索したところ、3日後に両目、両腎、肝臓、脾臓が摘出された遺体で発見された。
学校の同級生たちは彼女に「間違いない」と言ったという。
彼女の名前は現在、中国のマイクロブログ・サイトから消えている。
次は誰?中国人になる勇気はあるか?
シャオアン