公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

あれから22年 地下鉄サリン事件

2017-03-20 12:27:33 | 意見スクラップ集
オウム真理教による地下鉄サリン事件から22年。その3月20日は月曜日だったと記憶している。その日が当時立上げたばかりの日本最初の遺伝子治療ベクター開発会社ディナベック研究所の稼働初日だったから覚えている。その日は三人しか集合できなかった。結局休みにした会社の人もいた。



1995年 新築の二期棟(写真奥の高い建物)に製薬7社の研究員達が集合した。P3動物実験室に同GMP製剤製造室、さらにまだ珍しかった常時接続のインターネット最新環境に一人一台のマッキントッシュLCを接続して、高価な制限酵素でいっぱいの冷蔵庫。日本にこれ以上ない環境を提供準備して迎える予定の初日、

1995年地下鉄サリン事件が都心で起こっていた。この時点で上九一色村(当時の地名)に旧ソ連ヘリ2機とサリン薬剤があることはわかっていた。ドラム缶1個で100万人死亡する兵器庫には700個あったと言われている。松本智津夫←オウム←国内反日活動組織←北朝鮮←CIA←世界権力主義者達の日本恫喝(集金)という背景なしにこの事件は理解できない。

関岡英之 『拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる』(文藝春秋 2004年4月21日 )によれば、最初の年次改革要望書は要望書は1994年(平成6年)、源流は1993年(平成5年)7月の宮澤喜一首相とビル・クリントン米大統領との会談と推定され。以降の恫喝の歴史にピタリ一致する。

137 :茶々丸 :03/08/31 22:37
「結論からいうとなオウムは朝鮮人による日本内乱工作機関  統一教会の傀儡 ちなみに統一批判していた朝日も赤報隊にやられて批判やめた もちろん赤報隊も統一の傀儡だよ 今の日本は朝鮮人に裏から支配されてるぞ だから朝鮮系金融機関に膨大な資金が投下されているのだ」

それ故になぜ池田氏ら7人の自衛隊指揮幹部は特定されかつ通勤経路を狙われたのか(自転車で通った池田氏は遭難しなかったと述懐している)。情報が把握され狙われたという池田整治氏の発言は、二万人体制は別として、あながち妄言とも言い切れないと思う。不可解なパズルピース(地下鉄サリン事件)は歴史の暗号を解く鍵だ。歴史的に明らかなことは。。この事件があり、米国の国益を追求する年次改革要望書は要望書1994年(平成6年)以降毎年のように挟み込まれたという構造は明らかな歴史の変化であろう。池田整治はこれを暴露してどんな得があるのだろうかということも考えてみると面白い、小泉純一郎との共通点が見えてくる(反原発運動家でもある)。

まず1993年ノドンが飛翔し、
1994年松本サリン事件が起こり1995年地下鉄サリン事件が都心で起こっていた。この時点で上九一色村(当時の地名)に旧ソ連ヘリ2機とサリン薬剤があることはわかっていた。ドラム缶1個で100万人死亡する兵器庫には容器が700個あったと言われている(事件前に警察には自衛隊が警告と化学分析の資料提出をしていた 元自衛隊陸将補当時の階級はわからない 池田整治氏談では、2万人の自衛官が首都防衛行動に関係していたという)これを警察に対し動くなと命令する立場にあった野中広務国家公安委員長は北朝鮮とは実にべったりの「心通わせる」政治家であった。より明確には事件以降のことだが以下の通りyahoo知恵より。すべてはこの政治家の行動がサリン事件語も後悔することなく一貫して狂っていたことに由来する。これは歴史に答えを委ねるならば、宮澤喜一 野中広務 の部分的(小物的)売国奴実行は確定であろう。


1999年 平成11年12月2日(幹事長代理当時)北朝鮮の錦繍山記念宮殿を訪問して
「ご生前中に3度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りいたします。」
(12月3日付読売新聞)

1999年 平成11年11月23日(幹事長代理当時)、神戸市の新神戸オリエンタルホテルで開かれた党県連主催の会合で、北朝鮮政策について
「確かにテポドン、不審船、拉致疑惑といろいろある。(拉致疑惑で)先方と話をすれば、『三十六年間の(日本の)植民地支配はどうなる。日本は多くの人間を(朝鮮半島から)拉致していった』という互いにむなしい議論の戦わせ合いになる」
(11月24日付読売新聞)

1999年 平成11年12月5日(幹事長代理当時)、NHKの報道番組に出演し。北朝鮮に対する食糧支援について
「隣国が困っているのに、援助をせず、心を通わせないで、拉致問題をはじめとする日朝間の課題が本当に解決するのか。日本の平和と安全のためにも、何らかのトビラをあけていくことが(戦争を知る)我々世代の責任であり、政治家の責任だと思う」
12月6日付読売新聞

2000年 平成12年3月19日(幹事長代理当時)、島根県湖陵町で講演し、北朝鮮への米を十万トン支援することに関して
「日本人の拉致問題を解決しないで、米支援はけしからんというが、日本国内で一生懸命吠えていても(行方不明の)横田めぐみさんは帰ってこない」
3月20日付産経新聞

2002年 平成14年11月22日、都内で講演し、21日のテレビ番組で、地村保志さんの父、保さんが野中氏を批判したことを取り上げ、
「わたしは(地村さんと)一度もお会いしたことはない」と主張するとともに「蓮池薫さんの兄である)蓮池透さんもわたしが会ってくれなかったといっているが、面会を求められたことはない。このひとたちに冷たい汚い言葉をぶっかけたこともない」「身の危険を感じている。昨晩、標的になりつつある昨今のこわさを遺言に書きくわえた」
11月23日付産経新聞

以上「正論」2003年11月号 政界を牛耳った野中広務猛語録 柿谷勲夫 P348~より引用

成果ディナベック

 『アイロムグループは治験施設支援機関(SMO)大手で、SMO事業の足元の業績は好調に推移している。しかし、同グループで最も注目したいのは、2014年に子会社化したバイオベンチャーのディナベック(現IDファーマ)の事業の進展だ。IDファーマは、官民共同プロジェクトのディナベック研究所の成果を事業化する目的で、03年に設立された。同研究所からセンダイウイルスベクターの専用実施権を受け、コア技術としている。同ベクターは東北大学医学部が発見したもの。細胞核の中に入らず、細胞質内で自らのゲノムを複製して大量の蛋白質を作り出す。そのため遺伝子治療用ベクターの多くが核の中に入り込むのに比べ、安全性が高いとされる。』
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