公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

便利屋としてのプロフェッショナル

2010-06-04 19:05:34 | 日記
「知識労働者はそれ自体が独立して成果となるようなものを生み出さない。知識労働者が生み出すのは情報である。知識労働者の生産物は、それだけでは役に立たない。それらのものが意味をもつためには、他の知識労働者がインプットとして使い、何らかのアウトプットを生み出してくれなければならない。」

「知識労働者は、ほとんどが専門家である。彼らは一つのことをよく行うとき、すなわち専門化したとき大きな成果をあげる。しかし専門知識はそれだけでは断片にすぎず不毛である。専門家のアウトプットは、他の専門家のアウトプットと統合されて成果となる。」

      ドラッカー『プロフェッショナルの条件』
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自分の職業は便利屋と考えるのが真の姿を捉えてるのかも知れない。大学卒業以来、微生物、分析化学、製剤、高分子合成、物性化学、分子生物学、無機化学、触媒化学と分野をどんどん変えている。それなりに一流どころのお役にたってる。しかしお題をいただかないとエンジンがかからないのは専門というより芸人にちかい。触媒の様に働く事が誇りです。『プロフェッショナルの条件』にあるとおり、知識労働は使われてなんぼのものですから、専門性とは本来かけ離れたものなのです。たこ壷のように分野を限った専門性は知識労働の主戦場ではないというのがわたしの考え。たまたまこの本でドラッカーが同じ事を発表しているのを読んで、それからドラッカーをつまみ食いするようになりました。

プロフェッショナルを使って事業をエンジニアリングするという考え方に立つのが現代の経営だろうと思います。これは会社にかきらず、複雑な社会のマネージメントには共通する領域なんだが、学問ではない。本も無い。どんな事業エンジニアリングでもインプットがなければ空虚な空想に過ぎない。空虚な空想をいくつも持ちカードとしているのが便利屋の所以。

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