公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

利益2

2010-02-09 14:03:03 | 日記
「利益とは、それがなければいかなる責任も果たせず、よき雇用者にも、よき市民にも、よき隣人にもなれないというものである。」

 倫理的な立場を重視する経営者は利益の正当化というものに心ひそかに悩んでいると思う。あるいは悩んでいないと思う。どちらでも小さな問題だ。なぜなら通常問われることはないから。

 私は利益の正当化は事業の継続によってしか説得できないものと考える。企業ばかりでなく「よき雇用者にも、よき市民にも、よき隣人」が参加して事業を形成している。市場から退出することはすなわち利益の正当化に失敗したということでよいと思う。メディアのプリウス報道にも自分たちが当事者であるという感性がある。プリウス事業が継続できるかどうかということでプリウスの利益が正当化される。今般のリコールはいわば、事業継続のためのコミュニケーションだ。
 利益の正当な説明は、その事業の始まりにも含まれる。起業は社会に必要な価値を提供するために永続する計画を立てる。どんなに小さな始まりでも、利益はそのように正当化される。
 正当さについては、そもそも経営者が一人で語ることではない。
 利益に関しては、次の言葉が一番あてはまる。


『 汝の道をいけ、そして人々の語るに任せよ  ダンテ』
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