公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

「昭和出版残侠伝」 嵐山光三郎

2016-01-19 11:27:00 | 今読んでる本
感想は後ほど追記します。

今日は電車の空いていること、嘘みたい。昨日の雪といっしょにサラリーマンは溶けてしまったのだろうか来ない電車を待っている自分の虚無に気づいてしまったのだろう。嵐山光三郎は読んでいてリズムが良いから脳まで影響される。

朱子学がどうのこうのという本を読んでいると頭が固くなるので、「昭和出版残侠伝」を手に取る。まだ電波メディアが元気だった1982年ころのお話、タモリもビートたけしもさんま、所ジョージらも有名になりたての頃、平凡社という会社がおかしくなって飛び出してきた編集者軍団の反撃の本。平凡社の百科事典には大変お世話になったが、そのビジネスモデルが供給飽和で崩壊すると、「太陽」なんかを編集していた連中がじゃまになってお払い箱になるその後の話だからビンボーがテーマと言っていいくらいの話
「われら平凡社出身者の伝統と教養と知性はどこへ行ってしまったのかね。」
とつぶやき、バカボンは、
「あっちへいちゃいました。とはるか彼方を指した。





赤瀬川原平、安西水丸(残念ながら赤瀬川氏と同様に、2014年に亡くなっている)、南伸坊(みなみ しんぼう、1947年6月30日 - )、渡辺和博(わたなべ かずひろ、1950年2月26日 - 2007年2月6日故人)、篠原勝之(しのはら かつゆき、、1942年4月15日 - )などおなじみキャラクターが登場する。80年台を象徴する有名なところでは、糸井重里(いとい しげさと、1948年11月10日 - )、村松友視(示見)(むらまつ ともみ、1940年4月10日 - )、赤塚不二夫(あかつか ふじお、1935年(昭和10年)9月14日 - 2008年(平成20年)8月2日故人)、篠山紀信(しのやま きしん、1940年12月3日 - )、長井勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 1996年1月5日故人)、松田哲夫(まつだ てつお、1947年10月14日 - )、亀和田武(かめわだ たけし、1949年1月30日 - )、高平哲郎(たかひら てつお、1947年1月3日 - )、坂崎重盛(さかざき しげもり、1942年10月15日 - )、鈴木いづみ(すずき いづみ、1949年7月10日 - 1986年2月17日故人)、椎名誠(しいな まこと、1944年6月14日 - )、唐十郎(から じゅうろう、1940年2月11日 - )、見城徹(けんじょう とおる、1950年12月29日 - )、山際淳司(やまぎわ じゅんじ、1948年(昭和23年)7月29日 - 1995年(平成7年)5月29日故人)、横澤彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日故人)、木滑良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - )、高橋章子(たかはし あきこ、1952年10月28日 - )萩原 朔美(はぎわら さくみ、1946年11月14日 - )。皆さん70台以上か、若くても差し掛かる人々。故人も多い。

追記

この話のどこがいいかというと、クマさんこと篠原勝之が言う、「読者はいないよ。」「出会えない運命の心の友かな。」もちろん出版もビジネスだから、読者はいる。30数年後「骨風」で泉鏡花賞を受賞さすがただの貧乏人じゃない。芸術に生きるのなら、心の友は永遠に遠く。理解されることを求めるより、誤解されてもてはやされる偶然を仕掛けたほうがいいのかもしれない。つくづく思ったのは雑誌出版も誤解と過大評価の心理戦という本質だ。長く続く雑誌ほど文化的前衛という虚構につつまれている。クマさんの言うとおり前衛の読者そんなものはいない。

同世代である、ケイ坊こと小幡恵はずっと業界人をまっとうしているようだ。こういう生き方が普通
学研→青人社「月刊DOLIVE」→光文社「FLASH!」→扶桑社「SPA!」→NHK出版「放送文化」→角川書店「Men's Walker」→アスキー「週刊アスキー」→アスペクト MOOK、書籍→ワック「WILL」→アスキーメディアワークス「ビジネスアスキー」→フリー。
バカボンDNAはこのように伝えられている
『『ジャンクSPORTS』(フジテレビ)で大関・千代大海が明かした、バリバリの不良だった高校時代の話は、「こんなこと言って相撲協会に怒られないだろうか」と心配になるくらいの内容だった。だって高校生の広島クン(千代大海の本名)は、路上でうっかりホンモノのヤクザをボコって、「最も安全と思った」自分の学校に逃げ込むが、校庭までヤクザにクルマで乗り付けられ、教室から事務所に拉致されたという。覚悟を決めた広島クンに、先方のオヤブンさんは、開口一番「ウチに来ないか」。広島クンは、「その瞬間に相撲部屋入門を決めた」そうだ。』放送文化2004年夏 小幡恵


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