高校紛争 1969-1970 - 「闘争」の歴史と証言 (中公新書)
小林 哲夫
著者は1960年生まれなので、歴史の傷として整理された本
昭和45年 新宿西口
興味深いのはp70武蔵高校という特例という段がある。全部は書かないが、このブログでも言及した高橋順一氏の逮捕後の顛末が記載されている。
『一九六八年十月二十一日の国際反戦デーは。。。高校生が四十五人含まれている。
武蔵高校三年だった高橋順一(早稲田大学教授)は「-このとき僕は。。淀橋警察署に連れてゆかれます。」逮捕から五日目に釈放された。高橋は暗澹たる思いで学校へ向かう。道道。。。朝九時過ぎ、意を決して職員室に向かった。部屋に入ると教師たちがどよめきの声を上げた。「いろいろさがしたんだぞ。」「今頃順一は寒い思いをしていないかと心配したんだ。」。。。』
武蔵高校は良い高校だったんだね。
新宿高校の平井玄についてはここ、もちろんかっこよくない坂本龍一も出てくる。
学生運動に参加した著名人 太字は故人(推定故人)
- 石井慎二 -(いしい しんじ、1941年6月22日 - 2010年2月12日) 洋泉社社長。革マル派の影響力が強い早稲田大学新聞会に所属[16]。
- 糸井重里 - コピーライター・作詞家・随筆家。法政大学時代は中核派に所属し佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争にも参加。典型的『しらけ世代』の一人。
- 猪瀬直樹 - 信州大学全共闘議長を務めた。
- 根津甚八 (俳優) - (ねづ じんぱち、1947年12月1日 - 2016年12月29日) 獨協大学全共闘
- 内田樹 - 東京大学在学中に「過激派学生」として活動。某政治党派に属していた。内ゲバで殺された革マル派の金築 寛とは当時、親友だった「私は毛皮のコートを着た青学の綺麗な女の子とデートをしていた。」 。
- 江田五月 - 弁護士。東京大学教養学部時代に学部自治会委員長として大学管理法反対ストを指揮し、退学処分を受ける。復学後は運動と絶縁。
- 大野力 - 生年昭和3(1928)年10月29日没年平成13(2001)年9月5日思想の科学社社長。 評論家。『デモに渦巻く青春』(番町書房、1968年)において「かれら反日共系活動家の求めているのは、経済的要求ではなく、その闘いを通じての、人間的文化的要求だと言えよう」としている。
- 岡留安則 - (おかどめ やすのり、1947年 11月23日 - 2019年 1月31日 )4法政大学時代に構造改革派に所属した。
- 菅直人 - 政治家。第94代内閣総理大臣。東京工業大学在学中に学生運動に参加していた。
- 神津陽 - 評論家。ブント叛旗派のリーダー。
- 北野武 - 明治大学工学部学生時代に、羽田闘争などに参加したが、そのまま中退している。
- 坂本龍一 - 音楽家。新宿高校時代に参加。後に東京芸術大学へ進学。
- 佐藤優 - 元外務省官僚。70-80年代の活動家。母方の伯父からの刷り込みがあり、埼玉県立浦和高校では社青同協会(向坂逸郎)派に所属、同志社大学では同派を脱退、神学部自治会・学友会運動に参加する、『私のマルクス』(文藝春秋、2007/12)より。後に鈴木宗男とともに逮捕され有罪確定。
- 三遊亭圓楽 (6代目) - 青山学院大学時代にブントに参加。
- 塩崎恭久 - 政治家。安倍内閣の内閣官房長官、厚生労働大臣。全国浪人共闘会議(浪共闘)に参加。
- 塩見孝也 -(しおみ たかや、1941年5月22日 - 2017年11月14日 ) 評論家。ブント赤軍派のリーダー。
- 仙谷由人 -(せんごく よしと、1946年(昭和21年)1月15日 - 2018年(平成30年)10月11日) 政治家。菅内閣の内閣官房長官。構造改革派のフロント (社会主義同盟)の活動家として、東京大学法学部で全共闘運動に参加。
- 高須基仁 -(たかす もとじ、1947年(昭和22年)12月9日 - 2019年(令和元年)9月17日) 出版プロデューサー。中央大学社学同の委員長として数々の闘争に参加。1968年の10・21国際反戦デーでは六本木防衛庁に丸太を抱えて先頭で突入した。
- 高瀬幸途 - (たかせ よしみち、本名:中里 幸途、1948年 - 2019年4月24日) 太田出版社長。法政大学時代、非合法革命党派に所属。
- 高橋源一郎 - 小説家。横浜国立大学在学中の1969年に凶器準備集合罪で逮捕。翌年、半年間にわたって東京拘置所に留置される。この時期に高橋は一種の失語症に陥り、それが彼の文学活動に大きな影響を与えている。
- 高橋伴明 - 映画監督。早稲田大学で全共闘運動に参加し内ゲバ事件で逮捕。
- 田崎史郎 - 政治評論家。中央大学法学部。大学2年時に三里塚闘争に参加して、凶器準備集合罪で逮捕された。
- 千坂恭二 - 評論家。全国浪人共闘会議(浪共闘)やアナキスト革命連合に参加。1969年10月の大阪芸術大学夜襲闘争で逮捕。
- テリー伊藤 - タレント。日本大学経済学部在学中に日大全共闘に参加。左眼の斜視は、デモ行進中に投石を受けて重傷を負った後遺症である。
- 友成純一 - 映画評論家。高校時代に新左翼セクトに加盟。内ゲバを闘う。
- 中上健次 -(なかがみ けんじ、1946年8月2日 - 1992年8月12日) 小説家。ブント系で活動し羽田闘争に参加。早稲田大学では聴講生として活動した。
- 中沢新一 - 思想家。毛沢東派であるML派の隊列にいたといわれる[24]。
- 中嶋嶺雄 - (なかじま みねお、1936年5月11日 - 2013年2月14日) 政治学者。東京外国語大学へ入学後は学生運動に没頭。大学を卒業する頃は安保闘争の高揚期であり、企業への就職活動は一切行わなかった。
- 梨元勝 -(なしもと まさる、1944年12月1日 - 2010年8月21日) 芸能レポーター。法政大学に通い中核派学生として。
- 西部邁 -(にしべ すすむ、1939年(昭和14年)3月15日 - 2018年(平成30年)1月21日 ) 評論家。共産主義者同盟に所属。全学連中央執行委員として安保闘争に参加。のち、現在に見られるように右派へ転向。
- 広河隆一 - フォトジャーナリスト。早大ブントに所属。大学卒業後、イスラエルに渡航し、共産主義的な反シオニスト組織である「マツペン」で活動を行った。
- 松岡正剛 -(まつおか せいごう、1944年(昭和19年)1月25日 - ) 評論家。革マル派の影響力が強い早稲田大学新聞会に所属。文学部議長。デモの先頭で闘争の日々を送る。
- 樋口紀男 - (ひぐち のりお、1940年11月 - ) マーケティング実務家。元日本大学商学部教授。エンドレス・コミュニケーションズ代表取締役会長。中央大学卒。
- 宮崎学 - 評論家。第1次早大闘争に日本共産党側で参加。共産党系のゲバルト部隊あかつき隊の隊長として、早大全共闘および東大全共闘と激しいゲバルトを闘う。
- 村上龍 - 小説家。他の学生運動とは繋がりはないが、学生闘争が盛んな時期の1969年の高校在学中に高校の屋上をバリケード封鎖し停学処分を受ける。この経験を元に『69 sixty nine』を執筆。
- 森田実 -(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日 - ) 政治評論家。日共除名後、共産主義者同盟(ブント)に参加。ブント結成時のメンバーの一人。反米で護憲派。
- 参考 <共産主義者同盟(ブント)>共産党中央と対立して除名された全学連共産党員グループを中心として1958年12月に結成。島成郎(しま しげお、1931年3月3日 - 2000年10月17日)を書記長に、メンバーに、生田浩二、陶山健一(すやま けんいち、1936年 - 1997年1月)、佐伯秀光、姫岡玲治(青木 昌彦(あおき まさひこ、1938年〈昭和13年〉4月1日 - 2015年〈平成27年〉7月15日))、森田実、石井保男、樺美智子(かんば みちこ、1937年11月8日 - 1960年6月15日)など。1950年に結成された反戦学生同盟が改称した社会主義学生同盟(社学同)を下部組織とし、マルクス・レーニン主義の復権、反スターリン主義、「前衛党神話の呪縛」からの解放等を掲げ、60年安保闘争における全学連指導部を構成。
- 蓮見清一 - 宝島社社長。早稲田大学で革マル派の学生運動を行う。
- 安彦良和 - 漫画家、アニメーター。弘前大学の全共闘運動に参加。校舎パリケード封鎖の責任者として逮捕、退学処分を受けた。
- 矢作俊彦 - (やはぎ としひこ、1950年7月18日 - )は、日本の小説家。本名は不明 第2次ブントの活動家だった。