公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

天命の巻 3

2015-02-13 19:09:48 | 今読んでる本
急に寒くなる。


『時、処、位を得なければ、空論』

『「どんな正しか意見じゃからとて 、時 (時代 ) 、処 (場合 ) 、位 (自分の身分 )をかまわんで押そうとしても 、出来るものではごわはん 。これをかまわず主張するのは空論でごわす 。すべて物事には段取がごわす 。勢いがごわす 。それを十分にわきまえて 、どこを押せばどうなる 、どこから手をつけてどう進むと 、見きわめをつけた上でなければやれはせん 。おいが出て来たのじゃ 。おいにまかせて 、おとなしくして待っておじゃれ 。必ず見事な死に方をさせてあぐる 。もちろん 、おいも死ぬ 。あせって軽忽なことをするのは 、真の勇気のなかもののすることでごわすぞ 」』


ー天命の巻ーの趣旨はこれに収斂する。

論は正閏を決しても、浮遊する羽毛のように力を生み出さない。
西郷の言う空論とは黒白決戦に拘束されたただの運動。水戸の派閥間抗争を他山の石としたに違いない。
論理は時代と機会と権威を備えて初めて國民の情に届くという確信がある。要となる人物がこれを理解諒解しあって連携し、はじめて事が成ると考えたのだろう。

これに至らぬことに自制を持たぬ者が、血と恐怖で力を発揮する論を手にする。これがテロリズムだ。
三島由紀夫には、時代が無かった。
まさに憂国の君子は、乱世の論理を大西郷から学ぶべし。である。

それにしてもこの『西郷隆盛』三部構成は、本来の海音寺潮五郎の構想のダイジェスト版にすぎないのだから、大構想にもほどがある。志半ばの急逝が惜しまれる。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天命の巻 2 | トップ | 雲竜の巻 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。