公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

天命の巻 2

2015-02-11 17:39:08 | 今読んでる本

海音寺潮五郎は斉彬の毒殺を推理している。何か証拠もあったらしいが、詳細はあえて語っていない。

海音寺潮五郎に一目置いて池波正太郎は

『海音寺潮五郎氏は 、 「西郷は 、斉彬が毒殺されたと信じきっていたらしい 」と 、いっておられる 。それはさておき … … 。』
と軽快に飛ばす。
「西郷隆盛」池波正太郎 より

『同志の者に命じて毒を盛らせたと 、ぼくは推理している 。人を 、しかも一藩の主を毒殺するということは 、ありそうもないことと 、現代人には思われる 。しかし 、江戸時代には往々行われている 。現代になって 、何かの必要があって江戸時代の諸藩主の墓を発掘した場合 、遺体を調査してみると 、毛髪や骨から多量の砒素が検出されることが 、よくあるのである 。 「君は一代 、お家は万代 」とか 、 「君を以て尊しとなさず 、社稷をもって尊しとす 」とかいうようなことばは 、江戸時代の武士の常識であった 。お家万代のためにならないと見れば 、殿様を無理隠居させたり 、巧みに毒殺したりということは 、よくあったことなのである 。斉彬もその手にかかったと 、ぼくは推理しているのである 。これについては 、ぼくはなおいろいろな状況証拠を持っているが 、めんどうになるから 、これくらいでやめておこう 。』

『斉彬が稀世の英主であったことは 、歴史家が口をそろえて言っているところだ 。天が彼に十年の余命を仮したなら 、維新史はよほどに違ったものとなったろうというのも 、口をそろえて言うところだ 。その斉彬が最も思い切ったことを実行に移そうとした矢先に急死したのは 、天命というよりほかはない 。』

西郷隆盛らの熱情に反し、時代が逆流し始める。月照は逃避行の途上で

『俊斎が 、仏法とは何か 、手短くわかりやすく教えて下さいと言ったところ 、月照は 、 「難問どすな 。しかし 、こう言ったら 、先ずよいと思います 。 ─ ─仏の教は二つにわけて 、慈悲門と智慧門とになります 。慈悲門は衆生を慈愛して救うので 、殺生業など最も戒めます 。智慧門は善悪を判断し 、善を助長し 、悪を断絶する働きどす 。折伏いうのがそれどす 。一殺多生もそれどす 。形として仏像にあらわれると 、観世音菩薩や地蔵菩薩は慈悲門の働きのあらわれであり 、文珠菩薩や不動明王は智慧門の働きのあらわれということになります 。あんた方やわたしらの今やっていることは 、奸邪不忠の者をのぞいて国家を救い万民を安堵させようとしているのどすから 、智慧門のことで 、仏道にもかのうていることどす 」』


さて智慧門と慈悲門との関係や何如

情の池に智慧の石を投げ入れれると情が破れるように見えて実は破れない。池の喩えに似て、善悪を別ける弁別はその端緒が智慧の作用に見えても、弁別が心に至って行動に至るときに、善悪は揺れる波紋の情の結合だけである。まさに幕末期の大義名分〈尊皇攘夷〉は愛国の情熱に投げ込まれた智慧の石であった。

すなわち情のないところに智慧を放り込んでも維新のような大事業はできない。

善悪が揺れる波紋のように複雑な跳ね返りの過程を経て情が一つの国民的渦となる。安政の大獄や大老暗殺もまた同じ善悪の弁別の裏返しであったからこそ、愛国の情が一つの運動であることにつながった。その国民の情という意味で長野主膳も井伊直弼も西郷隆盛に並ぶ維新の功労者である。民族的な情こそがこの革命劇の主人公と思えてくる。

維新後はどうだったろう、西郷一人の情で国家を牽引するには限界があった。情の波動の時間空間的延長なしには、革命に善悪の弁別とともする永続はなく、西南の役となるのが必然だったのではないだろうか。




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