公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト 山岡鉄舟の武士道 裏表紙のメモ

2023-12-19 07:32:38 | 意見スクラップ集

山岡鉄舟の武士道はじつにすがすがしい。無我だけが武士道条件だ。その無我の対極にあるのが四十七士の仇討であろう。武士の意地とは何だろう綿密に成就確率の高い計画することだろうか?

『葉隠』より早く、四十七士の仇討のあと間もなく、これを批判した人に、儒者の荻生徂徠がいる。徂徠は、四十七士の処分について徳川幕府から意見をきかれたのに答えて、擬律書というものを差出した。義は己を潔くするの道にして、法は天下の規矩なり。礼を以て心を制し義を以て事を制す。今四十六士その主のために讎を報ずるは、これ侍たる者の恥知るなり。己を潔くする道にして、その事は義なりと雖も、その党に限る事なれば、畢竟は私の論なり。そのゆえんのものは、もとこれ長矩殿中を憚らずその罪に処せられしを、又候吉良氏をもつて仇となし、公義の免許もなきに騒動を企つる事、法において許さざる所なり。今四十六士の罪を決せしめ、侍の礼を以て切腹に処せらるるものならば、上杉家の願も空しからずして、彼等が忠義を軽ぜざるの道理、もつとも公論といふべし。もし私論を以て公論を害せば、この以後天下の法は立つべからず。荻生惣右衛門(『赤穂義人纂書』、補遺一五〇頁)

要するに赤穂浪士が私党を組んで、仇討の公許もうけずに騒動を起こしたのは、公的性格のまったくない、私的な行為だという見方である。さらに荻生徂徠の「赤穂四十六士論」という論文をみると、彼ら浪士の行為を、倫理的には「田横海島五百人の倫なり」ときめつけている(『赤穂義人纂書』、第一巻、四三頁)

勝部 真長. 山岡鉄舟の武士道 (角川ソフィア文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2270-2285). Kindle 版. 

 

鉄舟は武士道を狭義のものから広義のものに押し拡げようとする。従って和気清麿の行為も菅原道真の行為も、それが無我の実現である限り、武士道とよび、真日本人の生き方であるとみなすのである。和気清麿や菅原道真のような公卿の行為にさえ武士道を認めようとする以上、もはや武士という特定の職業における職域倫理としての武士道を頭においていないことは明らかで、もはや武士という形式や外面ではなく、内容としての無我の実現だけが、武士道のエッセンスとして着目されているのである。公卿でも町人でも百姓でも、そして女性でもなんでもよいのである。武士という形式に、もはやこだわっていない。「二本さすばかりを侍とおもうか」と、元禄の町人はタンカを切ったが、武士という体裁にこだわっているかぎり、そして武士ということを、あまりに意識しすぎ、武士意識過剰であるとき、かえって形式主義に陥り、内面的に大切なものを見失うのである。鉄舟はその点形式や体裁にこだわらない人であった。人々に対しても一視同仁、円朝のような落語家も次郎長のような俠客も平岡専造のような町人も乞食さえも出入りした。鉄舟は書をよくしたが、頼まれれば誰にでも喜んで書いてやった。商店の看板でも、それでその店が繁昌し儲かって、その書が人の役にたつというのなら、肉屋でも菓子屋でも喜んで書いてやるのが、鉄舟のやり方であった。

勝部 真長. 山岡鉄舟の武士道 (角川ソフィア文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2130-2144). Kindle 版. 

 

 

今読んでる 『武士道の精神史』 笠谷和比古 - 公開メモ    DXM 1977  ヒストリエ

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ちくま新書2017.5月刊笠谷和比古(かさやかずひこ、1949年8月15日-)は、日本の歴史学者。国際日本文化研究センター名誉教授。専攻は日本近世史・武家社会論。博士(文学)...

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