公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

失われた企業光景

2010-10-09 06:59:37 | 俳句など
 こういう企業光景は80過ぎの老人が語るだけとなった。企業の懐は淋しくなったというよりは企業トップの頭の中が俗なものを志向している(言葉は資本の効率性とか株主重視とか、着飾ってはいるが)ためだろう。近頃はといえば、意のままになる手金もちの大企業トップほど、大女優をパートタイムラバーにしていることを自慢したり、その手前工作中だったり。俗な欲望の充足にしか快楽を得られないとは嘆かわしい。

「今までにない反応ができる」=パラジウム触媒、炭素間に応用-辻名誉教授

 今年のノーベル化学賞は、希少金属パラジウムを触媒に2種類の有機化合物をつなげる「クロスカップリング」の各手法を開発した日本人ら3人に決まった。これらの研究に先立ち、パラジウムが炭素同士の結合に使えることを世界で初めて見いだしたのは辻二郎東京工業大名誉教授(83)。いわば受賞研究の礎となった発見を、辻さんは「今までにない反応ができるのではと考えた」と振り返る。
 米コロンビア大で有機合成化学を学んだ辻さんは1962年、東洋レーヨン(現東レ)に設立されたばかりの基礎研究所でパラジウムの研究を開始。新たな触媒として使われ始めた時期で、反応の際に炭素と酸素の結合が起きていることに着目し、「炭素と炭素に応用できるのではないか。今までに全くない反応ができる」と考えた。
 有機合成で最も重要な炭素同士の結合はだれも実現していなかった。実験は成功し、翌年最初の論文を発表。辻さんは「仮説の立て方が良かったんでしょうね」と静かに語る。69年には、米化学会の雑誌に総説論文「炭素-炭素結合生成反応」をまとめた。
 論文を読んだ多くの研究者がさまざまな反応を試み、有機合成の世界は大きく発展。医薬品や液晶などの開発に貢献した。
 「初めから実用化を狙ったわけではない。科学として追究し、うまくいけば実用化に至るだけ」と話す辻さん。同研究所をつくった田代茂樹会長(故人)は、「10年20年先を見越した研究を」と求めていたという。
 当時は高度経済成長期。「設備も資金もあり、事業と関係ないパラジウムの研究を存分にやらせてもらえた。研究に理解のある立派な会社だった。今はそんなことを言う経営者はいないだろうなあ」と懐かしんだ。(2010/10/09-05:04)




大胆なたとえ話ですが、マーケティングを純粋なランダムウォークモデル(酔歩モデル:デタラメ性の高い試行錯誤)で考えることができると考えられます。 ランダムウォークモデルでは100歩あるけば100歩顧客に近づくわけではなく、平均でその平方根である10歩しか出発点から離れないということが数学理論として原理的に知られています。
 営業も2倍売り上げようとしたならば、もし営業が私たちのコントロールの及ばない純粋ランダムなプロセスで決定されるのならば、4倍増の取り扱い間口拡大(あるいは接触頻度増)の努力が必要です。4倍働くと2倍の収益になるのならがんばり甲斐があるでしょう。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 迷惑な事故 | トップ | 銀杏の句 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。