別れは突然に来るかもしれない。死をイメージしておくと恐れは去ってゆく。眠れない夜の合理的結論は残された今の得難い価値ある。
手術台の上でボクは、有名なアメリカのボート・レーサー、ビル・マンティの言葉を思い出していた。「死ぬこと以外は軽傷である」
(ロッキー青木『人生、死ぬまで挑戦だ』1989年)
日航機墜落事故から35年。当時の音楽担当の奥野先生は乗員の一人でした。
先生の授業を最後に受けたのはいつだったか…夏休みが終われば、また会えるはずでした。
人生はいつか終わりを迎えるし、別れは突然に来るかもしれない。
次に会えるのは奇跡のようなことだと、この日を迎える度に思います。
出棺の時には、中江が昨年9月に26年ぶりに発表した新曲「名前のない海」を流して見送った。「母の手にあった杖は、いまわたしの手元に。母のイメージで選んだ華やかな花柄の杖。まだ綺麗なままです。もう杖がなくても大丈夫やね。こっちでは働いてばかりだったから、そっちではゆっくり休んでください。いつかまた逢おうね」と再会を誓っている。
ご冥福をお祈りいたします。