公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

谷崎か永井か

2024-12-16 15:47:00 | 日本人
瘋癲老人日記 谷崎潤一郎

註 五代目澤村訥升を名乗っていた若い頃はその美貌で人気を博し、谷崎潤一郎が『瘋癲老人日記』に引用したほか、志賀直哉東横ホールの舞台に立つ20代の訥升の美しさを毎月のように堪能したという。
訥升ノ揚巻ハ十分満足シタ。コレダケデモ来タ甲斐ガアルト思ッタ。福助時代ノ昔ノ歌右衛門ハイザ知ラズ、近頃コンナ美シイ揚巻ヲ見タコトハナイ。イッタイ予ニハ Pederasty ノ趣味ハナイノダガ、最近不思議ニ歌舞伎俳優ノ若イ女形ニ性的魅力ヲ感ズルヨウニナッタ。ソレモ素顔デハ駄目ダ。女装シタ舞台ノ上ノ姿デナケレバ駄目ダ。ソウ〳〵、ソレデ思イ出シタガ、予ニモ全然ペデラスティーノ趣味ガナイトハ云エナイカモシレナイ。
 若イ時ニタッタ一遍ダケ奇怪ナ経験ヲシタコトガアル。昔新派ニ若山千鳥ト云ウ美少年ノ女形ガイタ。山崎長之輔ノ一座ニ属シ中洲ノ真砂座ニ出テイタガ、ヤヽ老イテカラハ六代目ノ面差ニ似テイタ先代嵐芳三郎ノ相手役トシテ宮戸座ニ出テイタ。老イタト云ッテモ三十ソコ〳〵デナオ美シカッタガ、見タトコロ年増女ト云ウ感ジデ、トテモ男性トハ思エナカッタ。真砂座時代紅葉山人ノ「夏小袖」ノオ嬢サンニナッタ時、予ハ特ニ彼女、デハナイ彼ニ魅惑サレタ。何トカ出来タラ一夕彼ヲオ座敷ヘ呼ビ、舞台デ見タ通リノ女装ヲサセテ、チョットデモイヽカラ一緒ニ寝テミタイ。冗談ニソンナコトヲ云ッタラ、オ望ミナラサセテアゲマスト云ッテクレタ或ル待合ノ女将ガイタ。ソシテ図ラズモ予ノ希望ハ叶エラレタガ、首尾ヨク同衾シ、事ヲ行ウニ至ッテモ、普通ノ藝妓ト普通ノ方法デ行ッテイルノト異ルトコロハナカッタ。ツマリ彼ハ最後マデ男子デアルコトヲ相手ニ感ジサセズ、女性ニナリ切ッテイタ。鬘ヲツケタマヽ舟底形ノ枕ニ寝、暗イ部屋ノ褥ノ中デ、友禅ノ長襦袢ヲ着テノコトデハアルガ、実ニ異常ナ技巧ヲ持ッテイタモノデ、マコトニ不思議ナ経験デアッタ。断ッテオクガ彼ハ所謂 Hermaphrodite デハナイ、立派ニ男性ノ器具ヲ備エテイタ。タヾ技巧ヲ以テソレヲ感知セシメナカッタノデアル。
 ダガ如何ニ技巧ガ巧妙デアッテモ、モト〳〵予ノ趣味デハナカッタノデ、タッタ一遍好奇心ヲ満足サセタヾケデ、ソレキリ同性ト関係シタコトハナカッタ。然ルニ七十七歳ノ今日ニナリ、既ニ左様ナ能力ヲ喪失シタ状態ニナッテカラ、男装ノ麗人ナラヌ女装ノ美少年ニ魅力ヲ感ジ出シタノハナゼカ。青年時代ノ若山千鳥ノ記憶ガ今ニ及ンデ甦ッテ来タノカ。ドウモソウデハナイラシイ。ソレヨリ何カ不能ニナッタ老人ノ性生活―――不能ニナッテモ或ル種ノ性生活ハアルノダ―――ト関係ガアルラシイ。………

読みにくいので読みやすいものを誂えた

以下の古い日本語を現代日本語に変換しました。

---

揚巻は十分に満足できた。これだけでも来た甲斐があると思った。福助時代の昔の歌右衛門は知らないが、最近こんなに美しい揚巻を見たことがなかった。確かに私はペドフィリアの趣味はないのだが、最近不思議と歌舞伎俳優の若い女形に性的魅力を感じるようになった。それも、素顔では駄目で、女装した舞台の姿でなければ駄目だ。そういえば、思い出したが、私は全くペドフィリアの趣味はないとは言えないかもしれない。

若い頃、奇妙な経験を一度したことがある。昔、新派に若山千鳥という美少年の女形がいた。山崎長之輔の一座に属し、中洲の真砂座に出ていたが、少し老いてからは六代目の面差しに似た先代嵐芳三郎の相手役として宮戸座に出ていた。老いているとは言っても三十歳そこそこできれいだったが、見たところ年増の女性のようで、全く男性とは思えなかった。真砂座時代、紅葉山人の「夏小袖」に出た時、私は特に彼に魅了された。もしできることなら、一晩彼をお座敷に呼んで、舞台で見た通りの女装をさせて、少しでもいいから一緒に寝てみたいと思った。冗談でそんなことを言ったら、「お望みならお手伝いしますよ」と言ってくれた待合の女将がいた。そして、思いがけず私の希望は叶えられ、無事に同衾し、事に至っても、普通の芸妓と普通の方法で行っているのとは違ったところがなかった。つまり、彼は最後まで男性であることを相手に感じさせず、女性に完全になり切っていた。鬘をつけたまま舟底形の枕に寝て、暗い部屋の布団の中で、友禅の長襦袢を着ていたが、実に異常な技巧を持っていたもので、本当に不思議な経験だった。断言しておくが、彼は所謂ヘルマフロディトではなく、立派に男性の器具を備えていた。ただ技巧によってそれを感じさせなかったのだ。

だが、いかに技巧が巧妙でも、元々私の趣味ではなかったので、ただ一度好奇心を満たしただけで、それきり同性と関わったことはなかった。しかし、七十七歳の今になり、すでにそのような能力を失った状態になってから、男装の麗人ではなく女装の美少年に魅力を感じるようになったのはなぜだろうか。青年時代の若山千鳥の記憶が今になって甦ってきたのだろうか。それとも、そうではないらしい。どうも何かできなくなった老人の性生活―――できなくなってもある種の性生活はあるのだ――と関係があるらしい。

--- 

このように現代日本語に変換しましたが、他にも何かご要望があればお知らせください。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 保守系新党の課題は | トップ | 今日いち-2024年12月16日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。