日本人の歴史的民度の総力が出た。それが日露戦争であり、硫黄島の戦いであったと思う。死んだのは武人ではない。一般庶民だ。お国のためと一言で済ませないものを一言に収め最前線で死ぬ。様々な軍神の神話が生まれた前者に比べて後者にはわずかに栗林中将の名を残すのみ。日露戦争が勝ち戦だったからではない。総合的に見てどちらも国家の負けであった。つまり日本人は戦争に負けたのではなく、戦後の自尊心の喪失によって負けたのである。米軍が硫黄島に上陸したのは、米太平洋艦隊が数日間砲撃した後、戦闘は3日から6日ほどで終わると思われていた。ところが、2万3000人の日本兵は予想外の反撃を行い、複雑に張り巡らされた坑道から米海兵隊員を狙い撃ちした。なんと米軍11万人中、2万6000人が死傷した。日本軍によるほぼ一人一殺に匹敵する必死の抵抗は、数日の艦砲射撃の効果を過信していた米軍はまったく想定しなかった。気が変になる米兵も当然いた。戦場のPTSDである。
野坂昭如は人一倍戦争を憎んでいた。歴史とか社会と関わりなく、彼にとって戦争は人間を裸の欲望の獣にする飢えの原因であった。殺し合いより残酷なことは、獣の自分を暴露されることである。(自分のブログより)
日本人は敗戦後、精神的にこれまでにないほど残虐な生きるための生活を米国が主導する占領政策で強要された。そこで落とした自尊心は★個人的自尊心ではなく★類的自尊心を落としてしまった。この失敗は神話の喪失という還りがたい歴史世界に日本人を追い込んだ。
伊藤提督さえ いおうじま と発音する。 いおうとう(いわうとう) が本来である。閉ざされた言語空間が生きている。
上皇后陛下は1993年に御所で倒れられ、『心因性の失語状態』になったが声を取り戻すきっかけは硫黄島訪問。翌日に訪れた小笠原諸島の父島で、アオウミガメを放流する地元の子供たちに、『次の波が来るとカメは海に帰るのね』と声をかけられました。