前田正名この人、留学時に普仏戦争に遭遇して、物質文明と近代軍隊の精神的脆さを見抜いていたところがすごい。前田正名と松方正義の対立は、今のリフレ派と緊縮財政均衡派との対立そのもの。松方はあちらの文明の代理人の中央銀行正貨主義。払い下げバブル利害関係者三菱系の福沢諭吉による前田正名こき下ろしもまたポジショントークとみれば面白い。
松方とは15歳年下でさらにあの杉山茂丸は前田の15歳歳下、離れているが、松方が反対した興業銀行の立ち上げでおなじアイディアに縁がありそうだ。調べてみよう。
前田正名がフランス留学から帰国しロンドンにたった1877年、西郷隆盛は自刃した。
前田正名が正規の官僚になったのは明治12年、1879年処女献策、「直接貿易一班」を大隈重信に提出していた。さすがにこの時杉山茂丸は15歳、ご縁はないだろう。茂丸がJPモルガンから1億弗の資金を約束させたのが明治31年、1898年これが幻の興業銀行プランとなる。前田の興業意見緒言(抄録)頒布は明治17年、1884年だから時代が違う。この時前田は県是郡是を携えて全国行脚と「町村是調査標準」作成と宮崎新田開発と釧路製紙工場立ち上げに努力している。
前田 正名(まえだ まさな、1850年4月23日(嘉永3年3月12日) - 1921年(大正10年)8月11日)は、明治期日本の官僚。男爵。幼名・弘庵。明治政府の地租改正や秩禄処分で税制改革殖産興業政策の政策立案と実践した中心人物である
松方 正義(まつかた まさよし、1835年3月23日〈天保6年2月25日〉- 1924年〈大正13年〉7月2日)は、幕末から明治時代にかけての日本の政治家、財政家。位階勲等爵位は贈従一位大勲位公爵。幼名は金次郎。通称は助左衛門。号は海東