公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

恩師の訃報 永井美之先生 角皆静男先生 高久史麿先生 繪面良男先生

2022-06-07 19:16:05 | 白金ナノコロイド

追補2022/06/07

故高久史麿氏(元日本医学会会長)のお別れの会 6月26日午後4時から東京・ホテルニューオータニ


さらに恩師の訃報が届く

微生物の繪面先生が2022年4月肺がんで永眠。微生物の大学院に進学したかったな。Dr10人しか出してないけど。私が育てたDr.のうほうが人数多いから。


恩師の訃報が届く


2013年7月12日時点で角皆静男の400字のメンバーだった皆様へ

角皆静男は本日(12月8日)朝、77才で永眠いたしました。
2014年10月を最後に休止していた「400字」
ですが、復活は叶いませんでした。
舌癌の悪化でここ数日は食事や水分も受けつけない状態でしたが、今は安らかな顔をしております。

母の時と同じく埼玉県和光市内の壹鑑寺で、末尾に記した内容で通夜と告別式を行う予定です。
ここに生前のご厚誼を感謝し謹んでご通知申し上げます。


ランニングなどしてお元気だったのに。海のナノ粒子を最初に指摘した研究者の一人の御冥福をお祈りします。

故角皆静男の400字のメンバーの皆様
故角皆静男と散歩する会の皆様


先般の角皆静男儀永眠の際には大変お世話になりました。

私事にて大変恐縮に存じますが、故人に正四位瑞宝中綬章が授与され、本日位記と勲記が届きました。
これも故人存命中の皆様方の温かいご指導ご支援の賜です。
心より厚く御礼申し上げるとともに、ここに謹んでご通知申し上げる次第です。

角皆 潤(長男)
林 真紀(長女)





お元気な頃の投稿を引用する
『トリチウムは薄めて海へ流せ 
2013.9.8 角皆 静男 797

 400字の文772回(13.3.17)の欄外記「地震138:トリチウム(B235, A)」に以下の文を掲げた。以下( )内は私のコメント。

 400字の文の欄外記772回で、この汚染水のトリチウムの濃度は、1300 Bq/cc だという。国の排出基準値は 60 Bq/cc であるから、汚染水を普通の海水で22倍に薄めれば廃棄できる(従って、こうして廃棄したってよいのだが、これより相当下げなければ、放射能のホの字を聞くとカッとなるバカな日本人の頭を冷やすのは難しいだろう)。つまり、例えば、10万トンタンカーをチャーターして7回運んで黒潮続流域などに行って捨ててくればよいと書いた。

 この東電福島第一の事故で増え続ける汚染水について、日本原子力学会の事故調査委(委員長、田中知東大教授)は9月2日、RIの除去装置で取り除けないトリチウムは薄めて海に流すべきだとする見解をまとめた。この最終報告書の原案の中では、ほかに手はなく、高濃度のRIが漏れるリスクを減らすべきだとし、原案の中に、トリチウムを自然界に存在する濃度にまで薄めて海に流すことを盛り込んだ (それは無理だ。あるいはごまかしだ。薄める水が自然界に存在する濃度でトリチウムを含むからそれ以下の濃度にはならない)。トリチウムは水素の同位体で、法で定める放出限度は1リットルあたり6万ベクレルで、放射性セシウムに比べ千分の1の濃度 (この文をなぜ加えたか意図するところがわからない)。水として振る舞うため調査委員会は生物の中で濃縮されることはないとしている (この文の後半はよいが前半は意味不明)。

 東電福島第1の事故を検証していた日本原子力学会の調査委員会(委員長同じ)は2日、最終報告書案の概要を公表した。福島県内の除染が遅れていることを踏まえ、対象地域の放射線量を一律に引き下げる方法から、住民が普段立ち入る場所を優先的に除染し、早期復興を目指す方法への見直しを提言した。

 また、同原発内に大量にたまり、海への流出が問題となっている放射能汚染水の成分のうち、高性能な浄化装置でも除去が難しいトリチウムは、自然の海に含まれる濃度まで薄めてから海に放出することを提案した (自然の海の水が最低濃度だからそれ以下にするには特殊な水と混ぜねば無理だ)。トリチウムは通常の水を構成する水素の放射性同位体で、性質が似ている。

 いずれの提言も、原子力学会が住民や関係先の説明に当たる用意があるとし、トリチウムの海洋放出に際しては、濃度を連続的に監視するほか、住民や諸外国への事前説明が不可欠と指摘した。原子力規制委の田中俊一委員長も8月に海洋放出を検討課題とする考えを示している。 』

 

研究者にとっての論文十ヶ条(北大名誉教授 角皆静男先生のwebより引用)

数年前、「論文を書かない研究者は、ネズミを捕らないネコと同じである」といった(最近のネコはネズミを捕らないなどと揶揄されたが)。その後も折に触れて同様なことをいってきた。それをここでまとめておきたい。

 

1.「書かれた論文は書いた人の研究者としての人格を表す」 

書かれた論文からその研究者の人となり(人為)がわかってしまう。また、批判の材料にも使われる(日本人はあまり他をほめないが悪口は言う)。恐ろしい。

 

2.「データのみ出して論文を書かない者は、テクニシャンである」

テクニシャンが重要でないといっているのではない。ただ、テクニシャンは研究者でないことを自覚し、研究者としての待遇を要求してはならない。逆に、研究者は研究者の責任を果たさねばならない。

 

3.「データも出さず、論文(原著論文)を書かない者は、評論家である」

これも評論家が不要といっているのではない。ただ、評論家として振る舞うのではなく、研究者として振る舞い、こういう人達に研究費が流れていきがちなのが問題である。

 

4.「研究者は論文を書くことによって成長する。また、成長の糧にしなければならない」

投稿し、審査(批判)を受けることで成長する。若い人は没にされる率が特に高い。それで、こっそり黙って投稿する者がいる。むしろ、欧米のように、原稿ができたら、広く配り、周辺の批評を受けたいものである。

 

5.「論文は研究者の飯のタネである」

就職、昇進、任期更新、賞、研究費など研究者としての資質が問われる際に第1に問題にされるのが、よい論文を多数という点である。良ければ伸び、悪ければこの社会から締め出される。

 

6.「論文は後世の研究に影響を与えなければならない」

上で、異分野の研究者(や行政関係者)がまず取り上げるのが、審査のある雑誌に第1著者として書いた論文の数である。雑誌の質やその後の被引用回数も取り上げられる。本当は質であり、どれだけ後世に影響を与えるかである。また、書いても消えてしまうかもしれないが、書いておかなければ影響を与えることはない。

 

7.「研究者は書いた論文に責任を問われる」

その当時のレベルでは不可避であったことならよいが、間違った論文を書いた責任を取らなくてはならない。作為的ではなく、未熟さ、不勉強で結果的に間違えた場合でも、信用を落とすことになる。

 

8.「忙しくて論文が書けないというのは、言い訳にはならず、能力がないといっているのと同じである」

本当に価値あることが確実に得られているのなら、論文(の祖型)は一晩で書ける。書けないのは、足りない点があるからであり、書く力も能力のうちである。また。研究のため、教育に時間を割けないこともない。

 

9.「博士論文以上の論文を書けない者は、その博士論文は指導教官のものといわれても仕方がない」

最近は、博士の研究を論文にする際、当然のようにその学生が第1著者となる。しかし、アイデアから始まって、いろいろな指導を受けての結果であり、その学生の真価、実力はその後でわかるということである。

 

10.「研究において最も重要なのはアイデアであり、それが試されるのが論文である」

実験、調査、観測が主要な分野では、体を動かすことが重視されがちである。アイデアを尊重し、スケールの大きな研究をしたい。これには、技術的なことも含めて協力体制をつくり、資金を手当することも必要となる。

 

至極正論なのである。
情緒的な議論が嫌いだった先生の人柄が出ている。




永井 美之(ながい よしゆき、1939年8月18日 - 2020年1月20日[1])は、日本の医学者医学博士名古屋大学)。名古屋大学名誉教授[1]東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。専門はウイルス学[1]

岐阜県土岐市出身。名古屋大学医学部教授、東京大学医科学研究所教授、理化学研究所新興・再興感染症研究ネットワーク推進センター長などを歴任。センダイウイルスエイズウイルスなどを研究し、ウイルスが病気を起こすメカニズムの解明に貢献。遺伝毒性のない (non-integrating) 広域、高発現細胞質RNAベクターの創始。2008年日本学士院賞を受賞。

追補2022/06/08

ここで使われているらしい。

株式会社リコー、mRNA創薬支援事業を強化・・・エリクサジェン・サイエンティフィックを子会社化(2022/5/17

 

エリクサジェン・サイエンティフィックのiPS細胞分化技術は、転写因子をmRNAまたはゲノムに挿入しないセンダイウイルスを用いる分化キットとして提供しています。いずれも同等に効率的な手法であり、ゲノムに手を加えることなく、細胞の生理的機能を維持したまま、目的とする組織細胞を確実に作製することができます。

 

https://jp.elixirgensci.com/technology/

 

経緯は知らないがたとえ盗んだものだとしても使ってもらえているならば、永井先生も本望と喜んでいることでしょう。

 

高久 史麿(たかく ふみまろ、1931年2月11日 - 2022年3月24日[1])は、日本医師内科医。前自治医科大学学長。東京大学名誉教授地域医療振興協会会長。医学博士。2022年3月24日死去。91歳没。死没日をもって従三位に叙された




https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=262734&pid=1081166





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