公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

この日 いつもの放送ではなかった

2025-01-07 18:35:00 | 日記
昭和64年1月7日、いつものようにラジオ英会話を聴こうとしたら崩御のニュースだった。あれは36年前のこと。今から36年前の干支も巳年だった。48年前の巳年に高校を卒業して大学に入っている。親父はその時48歳巳年失業中だった。生きていれば96歳。今年は昭和100年だ。

昭和の後半昭和33年から昭和64年までのほぼ30年間を修行の身として生き、平成のほぼ30年間を人生誰のお陰もなく空費した。令和は還暦後にいただいたおまけ時間のようなものだ。ありがたいことです。令和7年は67年目とな、計算だけはしやすくなっている。








答えがある=先輩がかつてやった。 役人の受験脳は知的である必要はない。答えのある世界だけをなぞれば良い。

答えのない世界を生きるのが真の挑戦者だ。

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