公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『回顧七十年』 斎藤隆夫 昭和二十三年筆を置く

2016-04-08 11:40:16 | 今読んでる本
問題となった粛軍演説が読みたくて、『回顧七十年』政治家斎藤隆夫の半生記を読んだ。このような政治家はもういないのではないだろうか?現在の政治は立憲政治の確立とか普通選挙の実施とか、普遍的なテーマが無くなって、ただの富の配分(所得からの収奪)を争っているから、政治家が自分のやってることにちっとも歴史的誇りが持てない。日本の本当の課題、エネルギー、軍事、人口変動、ゴーストタウン(地方自治体の破産)を正面から議論することに欠けている。憲法改正などあとからやればいいこと。特に人口変動と自律できない街ゴーストタウン対策には私権制限する基本法さえ無い。なんでも少しずつ足してゆく足し算の政策はあるが、社会の盲腸を切除する引き算の政策がない。頭のなかは平和で美名のついたお花畑しかないから、大きく深く耕すことができない。

興味深いことに、斎藤隆夫の昭和23年の離党声明は現在の旧民主党(民進党)に向けて行っているかの如く歴史的に相似している。以下引用する。

『離党声明

今回の政変に際し民主党首脳部の取りたる行動は、片山内閣崩壊の責任を塗抹し、不自然なる政権獲得のために、憲政の大義を蹂躙し、政界の秩序を撹乱し、国論の反対に毫も反省することなく、殊に党本来の主張と根本的に相容れざる社会党の政策に咬合し、言辞を偽装して一時を糊塗し、持って國民を瞞着せんとするに至りては、国政を玩弄するの甚だしきものにして、まさに立党の精神を没却し、公党の本領を逸脱する背信行為である。余にしてこの状態を観過し、そのなすところに追随せんか、余が年来の主張は全く泥土に委せらるると同時に、余もまた政治的同罪の責を免れない。(以下省略)』


帝国憲法下で12回当選した憲政の守護者は残念なことにこの翌年昭和24年10月79歳で亡くなっている。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岡潔 4 | トップ | 『国家制度とアナーキー』 ミ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。