公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト 帝室論

2024-08-01 08:33:00 | 意見スクラップ集
天皇とは少なくとも日本人の宗家であり、人倫の頂点、つまり人である。人は人からしか生まれない。それゆえに血脈の正当を争う駆け引きが水面下で行われていると思われる。この争いは日本の歴史上何度も何度も繰り返されてきた。古くは平城天皇の血脈を断絶させた嵯峨天皇との争いなどがある。その繰り返しで日本人の貴種崇拝が生じ、源氏や平氏といった由緒を背負った天皇家とは遠い血脈が実権を支配した時代があった。しかし日本人の宗家であり、人倫の頂点を求め、神聖なものの器として天皇の神事は行われてきた。この事実を忘れて、制度を論じてはならない。福沢が帝室論で述べる民権と政治の外の帝室とのバランスは、特権を支持するものではない。現代語AI訳は帝室を天皇制と訳しているが、これはポリティカルな誤りである。

2016年の投稿記事
生前退位の啓く地平は、皇位の義務遂行の空白を埋めるという表向きよりも、天皇となる皇太子の決意を見届けたいと考えた今上陛下の思召しにある。

「帝室が特定の政党に関わるべきではなく、天皇制が政治から独立しているべきです。天皇制は国民全体の人心をまとめる中心であり、社会の秩序を保つために機能するものです。官権と民権の争いは、ただの小さな問題に過ぎません。政府と官僚が対立しても、天皇制がその中心にあり続ける限り、大きな混乱には至らないでしょう。」

以上の
福澤諭吉の帝室論を持ち出すまでもなく、皇室並びに帝室の連枝は、人倫の頂点であり中心を引き受ける御身内であるがゆえに政治社の関わる余地ない司祭継承、即ち、御身自身が触れることのできない神聖を受け止める現世の器である。皇太子よ忘れるな(天皇が神聖なのではない、神が神聖なのだよ)
ましてや日経社説の書くような戦後憲法の象徴天皇70年が福澤帝室論の実現であるなどとは見当違いも甚だしい。あたかも逆立ちした上に飲食を逆流させて微笑むが如き倒錯と無知、付け焼き刃の知識の福澤の権威をよすがにした無知のペンの焼き直しである。

帝室論緒言
 我日本の政治に關して至大至重のものは帝室の外にある可らずと雖ども、世の政談家にして之を論ずる者甚だ稀なり。蓋し帝室の性質を知らざるが故ならん。過般諸新聞紙に主權論なるものあり。稍や帝室に關するが如しと雖ども、其論者の一方は百千年來陳腐なる儒流皇學流の筆法を反覆開陳するのみにして、恰も一宗旨の私論に似たり。固より開明の耳に徹するに足らず。又一方は直に之を攻撃せんとして何か憚る所ある歟、又は心に解せざる所ある歟、其立論常に分明ならずして文字の外に疑を遺し、人をして迷惑せしむる者少なからず。畢竟ひつきやう論者の怯懦不明と云ふ可きのみ。福澤先生茲に感ありて帝室論を述らる。中上川先生之を筆記して通計十二篇を成し、過日來之を時事新報社説欄内に登録したるが、大方の君子高評を賜はらんとて、近日に至る迄續々第一篇以來の所望ありと雖ども、新報既に缺號して折角の需に應ずること能はず。今依て全十二篇を一册に再刊し、同好の士に頒つと云。
明治十五年五月
**現代文への翻訳**


日本の政治において最も重要なことは天皇制(帝室)に関わることであるが、世の中の政治評論家がこれを論じることは非常に稀です。これは、おそらく天皇制の本質を理解していないからでしょう。先日、いくつかの新聞に「主権論」というものが掲載されており、それは若干天皇制に関わる内容のようでした。しかし、その論者の一方は、何百年も続く古い儒教的な考え方や皇学的な視点を繰り返し述べているだけで、まるで一つの教義の個人的な主張のようです。そのため、進歩的な考えを持つ人々には全く響きません。また、もう一方の論者は天皇制を直接批判しようとするものの、何かを恐れているのか、あるいは心の中で納得していないのか、その主張がいつもはっきりせず、文章の外に疑問を残して人々を混乱させることが少なくありません。結局のところ、これらの論者は臆病で曖昧だと言えるでしょう。


福澤先生(福澤諭吉)はこれに対して意見を持ち、天皇制についての論文を書きました。中上川先生がこれを筆記し、合計12篇の論文としてまとめ、先日まで時事新報の社説欄に連載しました。多くの方々から高い評価をいただいております。連載が終了した今も、多くの方から初回から読みたいという要望がありましたが、新聞社が既に号を欠いているため、その要望に応えることができませんでした。そこで、全12篇を一冊にまとめて再刊し、同じ志を持つ方々に配布することにしました。


明治15年5月


前段に陳述する如く、我日本國民は帝室に對し奉りて、過去の恩あり、現在の恩あり。今後國會を開設して政黨の軋轢を生ずるの日には、必ず其緩和の大勢力に依頼せざるを得ず。即ち未來の恩にして、此三樣の大恩は日本國民たる者に於て平等に戴く可き者なり。然るに近來民間に黨派を結て改進自由など唱る者あれば、之を目して民權黨と名け、民權に反する者は官權なりとて、世間漸く官權黨の名を生じたるが如し。抑も官とは如何なる字義なるぞや。今の内閣の大臣參議以下の官吏を總稱したる名にして、官權とは此官吏が政府に立て國事を執るの權力と云ふ義ならん。今日の政體に於ては、官吏は天皇陛下の命じ給ふ所のものにして、其これを命ずるの間に天下人心の向ふ所を斟酌し給ふに非ず、固より賢良なる人物を擧げて衆庶の望に副はせられ給ふは明々たることなれども、公然たる姿に於て人民より其人を推撰するに非ず、投票の多數に由て進退するにも非ざれば、官吏は純然たる帝室の隸屬にして、帝室と政府との間に殆ど分界なしと云ふも可なり。即ち明治元年より今年に至るまで我國の政體なれば、今年に在て官權と云へば、其權は帝室の威光の中に在るものにして、或は之を帝室の大權中の一部分と云ふも大なる不可なかる可し。然るに此官權の下に黨の字を加へて官權黨の名を作り、之を口に唱へて黨派を募るとは何事ぞ。字義を推して其極度に至れば、帝室の御爲に特に盡力せよと云ふ意味に落ることならん。天下四分五裂、大義名分も殆ど紊亂の姿を呈して、帝室の安危如何とて憂慮の餘りに、帝室に御味方申せと天下の志士を募りたるの例はなきに非ざれども、此れは是れ上古亂世の事にして、明治の昭代には夢にも想像す可らざるの不祥なり。既に御味方申せと云ふからには、畏くも眞實帝室に反する朝敵の所在なかる可らずと雖ども、今日の日本に朝敵は何處に在るや。我輩は世の新聞記者の流を學て態と過激なる語法を用る者に非ず、又巧に辭を婉曲にする者にも非ず、中心に我帝室を仰て其安泰を祈り奉り、之を祈て果して天下に朝敵なきを信ずる者なり。朝敵と云へば、維新以來舊幕政府の一類共に何か不審の筋あり云々等の事ならば、先づ古來和漢の例に於ても、國民前政府を慕ふとか云ふ意味にて、隨分世にあるまじき嫌疑に非ざれども、幕府滅却の後は斷へて其痕跡を見ざるのみならず、舊幕府の談は政治社會に於て信に意に介する者もなきに非ずや。世界古今革命の事少なからずと雖ども、其革命の後に物論の穩なるは、獨り我明治政府を以て未曾聞の一例と爲す可き程のことにして、我輩は實に我帝室の萬々歳を信じて疑を容れず、之を疑はんと欲して中心に其疑懼の端を得ざる者なり。斯る昭代に居て、等しく是れ帝室の臣民なるに、其一部分の人が何を苦んで帝室保護等の言を吐くや。不祥の甚しきものなりと云はざるを得ず。固より其社會の長老は必ず誠實なる人物にして、唯一偏に帝室の御爲を思ひ、之を思ふの餘りに世間を見て不安心なりと認る箇條もあらんと雖ども、其不安心は唯是れ局處に止まるものゝみ。萬頃の杉の林に兩三根の松を見ればとて、其松の繁茂して杉林の景色を變ず可きに非ず。帝室は全國人心の歸する所也。二、三の狂愚あるも之を如何す可きや。苟も社會の大勢に着眼する者ならば、之を視ること難きに非ざる可し。今一歩を進めて我輩は別に却て恐るゝ所のものあり。其次第は、官權主張の人物が、誠意誠心に帝室を重んじて、其極度は遂に帝室の御味方を申すとまでの姿に陷るときは、恰も敵なきに味方を作りたるものにして、其味方なる者は敵を求めて敵を得ず、却て新に敵を作るの媒介たるなきを期す可らず。去迚は其誠實の本心に戻るに非ずや。或は長老の人物に於ては、徒に敵を作るが如き粗漏もなきことならん、寛大以て人を容るゝの度量あらんと云ふと雖ども、如何せん俚俗に所謂禍は下からとて、其社中の末流に至ては大に長上の意の如くならずして、本源は獨り却て心を痛ましむるものあらん。甚しきは舊幕政府の末年に、幕府が世論の劇しきに苦しみ、政府の成規外に新徴組、新撰組なるものを作て、之を制せんとして却て益其劇しきを増進したるが如き齟齬を生ず可きやも測られず。誠に苦々しき次第にして、帝室の大恩徳を空ふする者と云ふ可し。都て事を論じて他より其論を聞くに當り、論ずる者と聞く者との間に一點の猜疑ありては其論旨は通達せざるものなり。故に我輩が斯く論じ來るも、讀者に於て何か疑を抱くときは實に際限もなきことなれども、我輩の持論は既に世に明告したる如く、在野の政黨に與みするものに非ず、又今の政府の官吏に左袒するものに非ず、唯社會の安寧を祈て進て建置經營する所あらんを願ひ、其針路方法を論じて世の政治家の注意を喚起せんとするまでのことなれば、彼の政治宗旨の大小夫〔小丈夫〕が、眞宗を出れば必ず日蓮宗に歸し、兩宗の一に歸依するに非ざれば身を處すること能はざるが如き者に比すれば、少しく異なる所のものあり。讀者も少しく靜にして先づ猜疑の念を去り、虚心平氣以て聽く所あれ。記者の行文波瀾を失ひ、誠に無力赤面の至なれども、只管讀者の推考を乞ふのみ。

### 現代語訳


前述のように、日本国民は天皇制(帝室)に対して、過去にも現在にも恩があり、将来にわたっても恩を受け続けることが予想されます。将来的に国会が開かれ、政党間の争いが起こる際には、その調和を図るために天皇制の大きな影響力に頼らざるを得ないでしょう。つまり、この三つの恩は日本国民全員が等しく享受すべきものであるということです。しかし、最近では「改進」「自由」などを唱えて党派を結成する人々がおり、これを「民権党」と呼び、それに反対する者を「官権党」と呼ぶようになっています。


そもそも「官」とは何を意味するのでしょうか。現在の内閣や大臣、参議などの官僚を総称するものであり、官権とはこれらの官僚が政府として国の仕事を行う権力を指すものです。現行の政治体制では、官僚は天皇陛下の命令によって任命されるものであり、国民の意見を直接反映するものではありません。もちろん、天皇は賢明な人物を任命し、国民の望みに応えるようにされていますが、それでも官僚は天皇制に完全に従属していると言えるでしょう。したがって、官権という言葉を使う場合、それは天皇の権威の一部であると言っても過言ではありません。


しかし、この官権に「党」の字を加えて「官権党」という名称を作り、それを掲げて党派を募るというのはどういうことなのでしょうか。極端に言えば、天皇制に対して特に尽力しようという意味に解釈される可能性があります。過去には、国が分裂し、天皇制の安危が危ぶまれた時に、天皇制を守るために志士を募ったことがありましたが、それは古代の乱世のことであり、現代の平和な時代には想像することすらできない不祥事です。


もし「天皇制を守るため」と言うのであれば、天皇制に反対する朝敵が存在することになりますが、今日の日本にはそのような朝敵は見当たりません。私たちは天皇制の安泰を願い、そのために心から祈っており、朝敵が存在しないことを信じています。もし朝敵が存在するとすれば、それは旧幕府の残党などが疑われるかもしれませんが、明治政府が成立して以来、旧幕府の影響は全く見られず、その信頼性も政治社会において考慮されることはありません。


現在、天皇制を守るための党派を作ろうとすることは、無意味であり、不祥な行為だと言わざるを得ません。たとえ、その社会のリーダーが誠実な人物であったとしても、彼らが不安を抱いていることがあっても、それはあくまで局所的な問題に過ぎません。全体的な視点で見れば、日本国民全体が天皇制に帰属しているのです。


私たちは現在の政治体制において、特定の党派に属することなく、ただ社会の安定を願い、そのために建設的な意見を述べて政治家たちの注意を喚起しようとしています。読者の皆さんも先入観を捨てて、私たちの意見を冷静に受け止めていただければ幸いです。


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