2023/09/16
ウォール・ストリート・ジャーナルは日本銀行の通貨政策変化が米国の債券利回り上昇と株価下落要因として作用する素地があると分析した。日本の投資家は金利が事実上ゼロに近い円を借りて米国など金利が高い国の資産に投資する「円キャリートレード」をしてきたが、この資金が日本に回帰する可能性があるからだ。同紙は「米国債を1兆ドル以上保有している日本の投資家が為替相場変動リスク回避に向けた措置を取る可能性が大きい。米国債をはじめ多くの外国債券に対する買い入れを中断したり売却を増やすかもしれない」と分析した。その上で「こうした見通しが現実化するならば今後世界的に債券利回りが上昇する」と予想した。
rakuten『が総額4.5億ドル(約593億円)のドル建て債を追加発行することが12日、分かった。発行日は1月20日。利率が年10.25%のディスカウント債で、割引分を加味した最終的な利回りは11.76%となる。
楽天Gは2022年11月に5億ドル相当の社債を12%の利回りで発行しており、その追加分として発行する。償還期限(24年11月30日)は前回債にそろえる。』
12%の利回りというと、72ワル12=6年 で2倍の返済になる。
よく言われること、「生産活動には元手が必要→貯蓄の存在は利子がなければ成り立たない→金利がつかなければ、私たちは銀行にお金を預けるという意欲はなくなってしまう→生産活動ができないだろう」
私が生まれた頃米国にはゴールドがいっぱい蓄えられていた
生産活動には元手が必要、ここまでは正しい。そのあとは全て間違いです。元手が貯蓄だった時代はもう数百年前に終わっています。1119年以降テンプル騎士団の保護するエルサレム巡礼や十字軍遠征は遠征旅行に必要な路銀を貯蓄として預かるという銀行機能でしたが、すでにその当時預かった以上の貯蓄証文を流通させていました。なぜなら、全ての遠征資金が一挙に消費されることがないからです。今も同じで、銀行から借入すると誰かの貯金が崩されているわけではありません。あなたの口座の数字が変わるだけで機能しています。不思議ですが、いつのまにか政府自体が贋金信用をつくるようになってから、社会は大いに投資に向かい見かけ上、大きな家や橋ができて発展しました。ほとんどの初期の動機は戦争資金でしたが。
金融が国境を跨いだ場合最後は決済されなければなりませんが、決済方法を一種類に決めてしまえば、銀でも金でもドルでもいいわけです。今は電子記録でいいということになっています。金利は累乗ですが投資リターンは概ね比例でしょう。当然累乗の方が増大速度は大きいです。規模が大きくなれば通貨発行総額が需要を超えて余る時代がきます。価値のないものにも投資が向かいやがて通貨崩壊します。その前に貯蓄の意欲がなくなります。通貨価値の崩壊を予測しておこる希少実物バブルです。チューリップバブルが有名ですね。ヨーロッパの30年戦争の頃、ちょうどデカルトがドイツで方法序説を書いた頃です。随分と昔に金利があっても貯蓄意欲は通貨価値の磨損により衰える運命は実証されているのです。事実マイナス金利でも経済は成長するということがこの数年示されました。ではなぜ金利、公定歩合やFFRがインフレ退治や経済の調節弁のように大切なものと言われるのでしょう?
それはほんの少数の人々の利害(インフレ退治も通貨価値の維持)を代弁する仕組みが社会全体になければ欲望の世界はシニョリッジの無秩序、自己金融のカオスへと向かうからです。この世の中の秩序を支えているのは巨大な欲望の少数者から見た利害序列化という巨大な悪です。善意を前提とせずとも金利さえあれば資産を持てる階層は永遠に安泰です。ここには安泰を維持したい動機が経済の文鎮として働く合理的整合があります。
しかし人類が以上の経済の仕組みを知り一斉に決断できれば、金融金利を廃止することは簡単です。貸し手の与信判定能力だけで経済は回るのです。そのうち機械が投資活動の全てを担うようになることでしょう。
今は経済の新しい常識が誕生する前の状態です。世界が固唾を飲んで金利と利息を最重要視している時代です。巨大な悪の貪欲の恩恵に誰もが喜んでいるのです。
例えばあなたの口座預金高にゼロを一つ加えますので、その代わり極めて低い利息保証で債権を預金残高の70%使って買いなさいと信用ある銀行に言われて、抵抗できる人はいないでしょう。見かけ上100万円の預金残高が、現金預金300万円に化けるのです。しかも利息が入ってきます。利息は700万円の中から少しずつ届けます。利息原資が足りなくなったらまた同じことを喜んでします。これが悪の貪欲です。
日銀が大手銀行に対してやっていることは下世話にいえばこのようなものです。預金残高は架空のものでも、利息には実体があるように見えます。
YCCといった日銀フィクションの固定化も終わりを迎えました。これらは日本に限らず、世界共通の贋金をベースとしたポンジスキームです。これまで続いてきた悪の貪欲の恩恵が世界同時に終わりを迎えているのです。ポンジスキーム形態は世界に様々ありますが、終わりかたはどれも同じです。ある日避け難い巨大な損失が顧客レベルに広範囲に突然現れ(例えばリーマンショック)、資金回収を必要とする局面で必ずポンジスキームは破綻します。債権者が市場の商品を持っているならば、それが売りに出ます。先ほどの例え話では、あの低利の債権を償還して欲しいいとなるのです。そんなものはすでに存在しませんので帳簿の資産価格が一斉に下落します。
以上は架空の話ですが、確かなことは終わらないポンジスキームは存在しないと言うことです。
次は山田方谷のシニョリッジ改革を勉強しておこう
『江戸時代後半になると、各地の藩は幕府の許可を得て、藩札と呼ばれる独自の紙幣を発行していた。それらは正貨と兌換できることが原則であったが、財政が逼迫する藩では兌換用の準備金を他へ流用し、さらに穴埋めのために藩札の乱造が繰り返された結果、藩札の価値は紙切れ同然となっていた。備中松山藩も例外ではなく、方谷が元締役に就任した当時で藩発行の五匁札には偽札まで出回っており、藩札の信用は地に落ちていた。
方谷は嘉永3年(1850年)に藩札の発行を停止し、3年間の期限付きで市中に出回っている五匁札を全て額面で買い取るとの触れを出した。その結果、未発行分も併せて711貫300匁(金換算で11,855両[注釈 13])が藩の札座に集まった。嘉永5年(1852年)9月、方谷は松山城下の近似川原において買い集めた藩札を全て焼却すると布告した。9月5日、布告を聞いて集まった藩士・領民の眼前で藩札の焼却が行われた。作業には方谷自身も立ち会い、辰の刻(午前8時)から始まった焼却作業が終了したのは申の刻(午後4時)であった。
全ての藩札を処分した方谷は、専売で得た利益の一部を積み立てて両替準備金とし、「永銭(永札)」と名付けた新しい藩札を発行した。永銭は発行されると同時に抜群の信用を得て、松山藩内はおろか近隣他藩の領内でも使用されるようになった。松山藩の金蔵には永銭との交換によってさらに正貨が積み上げられ、これにより負債の返済は加速度的に進み、安政4年(1857年)には10万両の負債を完済し、さらに10万両の余剰金の蓄財に成功し[注釈 14]、当時の松山藩の財力は20万石以上と評価されるまでに至った。』