この頃までサッチョン族という購買層があり、札幌は交際費と支店経済で潤い、ススキノは昼から爛れていた。すでに有名人となっていた中島みゆきが、飛躍の年1975年 「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコード・デビュー。昭和50年、まだ時々大通り公園のベンチでトーキビを食べている彼女の姿が大学の先輩に目撃されている。この写真のファッションが懐かしい。似合っている人は少なくても結構いた。
歌の歌詞ではないけど、さすがに時代を感じる。
中島みゆきはといえば、
1975年10月第10回ポピュラーソング・コンテストに「時代」グランプリ受賞し
11月の第6回世界歌謡祭 でもグランプリを受賞し、八神純子の夢を砕いた。
40年以上経過していると思うことができないくらい深夜放送に流れた時代はちょっと前までそこにあった上着の様に体温がある。
現在のとうきびワゴン
寂れた風情が悲しそう。
歌の歌詞ではないけど、さすがに時代を感じる。
中島みゆきはといえば、
1975年10月第10回ポピュラーソング・コンテストに「時代」グランプリ受賞し
11月の第6回世界歌謡祭 でもグランプリを受賞し、八神純子の夢を砕いた。
40年以上経過していると思うことができないくらい深夜放送に流れた時代はちょっと前までそこにあった上着の様に体温がある。
現在のとうきびワゴン
寂れた風情が悲しそう。