仮にその立場に従うならば、この宇宙はその外にいる神が決めたルールに従って動作するコンピュータシミュレーションの世界だと解釈できることになります。そして我々はその世界に登場するキャラクターであり、その世界の内部からシミュレーションのルールを探ろうとした結果、そのプログラムを記述するルール(数学)を発見しつつあるのかもしれません。私が首尾一貫して「法則あるいは数学」と述べてきたものは、まさに「神」そのものではないか、というわけです。 私は神の存在を信じてはいませんが(日本ではこのような発言は重要な意味を持ちませんが、国によってはかなり勇気が必要なカムアウトです)、これはそもそも通常の意味での科学的な問いではないため、科学的には肯定も否定もできません。そのため私は「自然科学研究とは、神を持ち出すことなくこの世界をスッキリと理解するための試みである」と主張し続けています。
ブードゥーサイエンス。The Road from Foolishness to Fraud[1]は、物理学教授のロバート・L・パークが2000年に出版した本で、科学的方法に従わない研究を批判しています。ブードゥーサイエンス」という言葉は他の人も使っているが[2][3]、学者の間ではパークと最も関係が深い[4]。 パークはなぜブードゥーという言葉を流用して以下に詳述する4つのカテゴリーを表現したのか、説明をしない[1] この本は、特にホメオパシー、冷核融合、国際宇宙ステーションを批判している[5]。
「宇宙は数式でできている」須藤靖著
冒頭からラマヌジャンの話が出てくるので面白そうなので、手にしてみた。
『──それにしても、なぜこうも自然現象を都合よく数式で表現できるのでしょうか?その疑問は当然ですが、理由はわかっていません。しかしすでに、ほとんどの自然現象は数学を用いて驚くべき精度で記述できるという事実は知られています。そのために、うまく記述できていない自然現象があったとしても、それは数学で表現できないのではなく、我々が「まだ」本質的な理解に達していないだけだと解釈されています。つまりその奥底に我々にとって未知の(数学的)法則が潜んでいるのだと。あのアインシュタインですら、この不思議さに驚いて、「経験とは独立した思考の産物であるはずの数学が、物理的実在とこれほどうまく合致するのはなぜか」と述べているほどです。』
『宇宙にたまたま生まれた人間がたまたま作った概念で、宇宙のあらゆることが記述できるなんて、やはりできすぎているというか、都合がよすぎるような気もします。Aまさにそれこそが、本書で私がみなさんに問いかけたい疑問なのです。実は私の解釈は、この質問の意見とは逆で、「だからこそ数学は決して人間が発明したものではない普遍的なものだ」なのです。「アインシュタインは一般相対論を発明したのではなく発見した」と述べましたが、数学もまた同じでしょう。例えば、遠い将来に地球外知的文明と交信できたとしましょう。彼らがどのような表現を用いているかはわかりませんが、必ずや微分積分などの数学や一般相対論に対応する物理学は持っているはずです。それは誰かがたまたまこの地球だけで発明したものではなく、この世界(ここでは宇宙よりもはるかに大きな概念の意味で用いています)のどこかに確実に埋め込まれたものだ(と私は信じている)からです。』
*『宇宙が始まる前の宇宙はどうなっていたのですかという質問を多く受けますが、標準宇宙論に従う限り、始まる前には宇宙は存在しなかったと答えるしかありません。納得してくれない方も多いのですが、それ以外の答えはないのです。』
須藤靖すとう・やすし1958年高知県生まれ。東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授。東京大学理学部物理学科卒業、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了(理学博士)。専門は宇宙物理学、特に宇宙論と太陽系外惑星の理論的および観測的研究。著書に、『ものの大きさ』『解析力学・量子論』、『人生一般ニ相対論』(以上、東京大学出版会)、『不自然な宇宙』(講談社ブルーバックス)などがある。
須藤 靖. 宇宙は数式でできている なぜ世界は物理法則に支配されているのか (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2170-2174). Kindle 版.