公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

良心 夢野久作の愛國

2015-09-20 07:32:37 | 今読んでる本

良心・第一義 夢野久作

初出:「ぷろふいる 4巻5号」
   1936(昭和11)年5月
『構想、執筆に10年以上をかけた代表作『ドグラ・マグラ』は、1935年(昭和10年)1月に松柏館書店から刊行されたが、急死した父の莫大な負債の整理と愛人への補償に追われ、夢野久作は翌1936年、来客の応接中、「今日はいい天気ですね…」と言いかけた時、脳溢血を起こし昏倒。そのまま死亡した。』1936(昭和11)年3月11日

  良心

財産を私有する勿れ
心念を私有する勿れ
汝の全霊を万有進化の流れと
共鳴一致せしめよ
常に無限なれ
万古に清朗なれ
良心は一切の本能が互いに統制し、自他の共鳴を完全にして、人文の進化を極致に導き来り、導きつつあり、導き行かんとする人類共通の最重大の本能也。
 本能の集合体也


  第一義

人間の思う事は皆妄想である
哲学でも宗教でも唯物思想でも何でも
人類文化は全部妄想の文化である
現代文化は第二義の文化である
この文も又……である
自然物は皆第一義の花を咲かし
第一義の実を結んでいるのに
人間ばかりは第二義の花と実を誇りとし
これがために第一義の真と美を犠牲にし
軽蔑している
汝が汝を支配する時
汝は死物となる
支配せず
支配せられざる汝は
生きた汝である
自然の汝である。


ここに良心=本能の集合体という生命観、独特の価値観が不完全な形で提示されている。自他の共鳴という視点は現代文化が鼓吹する良俗価値を妄想として排除しているという点で土俗原理的である。
また万古に清朗なれという願いは、昭和11年という日本の復古的空気をよく表している。万古に清朗な世俗的価値に還るということが、独自の価値で世界に日本の価値を示すという野心(孤立の裏返しだが)の充満と無縁ではないだろう。しかし夢野久作は安易に皇国日本などという乗り換えはしていない。あくまでも根底にある原理を求めている。答えが見てていた人の断片的な言葉にこの人が何を創りだそうとしていたのか見えるような気がする。完成品陶器を見るよりも多数の失敗の欠片の打ち捨ての中に真実があるように。

とはいえ、この時代、日本は世界から干され始めていた。とうの日本国は東洋の孤立主義ともいうべき虚妄のモンロー主義が輸入できる余裕などない国の実力だった。この断章を目にして、夢野久作は多作ではあったが生涯未完成の人という印象を深くした。父杉山茂丸も日本国を未完成のままこの世を去ったが、日本国の忠臣というタイプの人物に対して、その子久作はその危機の中に独り心頭滅却の良心の迪を選び未完のままこの世を去った。

今の言葉で言うと、持続可能な日本国とはどういう國なのか。國のストックである、経済・財政、軍事・外交、環境・治水、人口・教育、国土・領海、外部環境を将来世代に負担を残すこと無く国民国家日本国としての現在問題を解決できるのだろうか?結果的に杉山親子のテーマは日本国、国民国家の独立性の追求という点で愛国心が共通している。
夢野久作は父杉山茂丸の出発点を次のように描いている。

茂丸が其の父に対して曰く
「日本の開国は明らかに立遅れであります。東洋の君子国とか、日本武士道とかいう鎖国時代のネンネコ歌を歌っていい心持になっていたら日本は勿論、支那、朝鮮は今後百年を出いでずして白人の奴隷と化し去るでしょう。白人の武器とする科学文明、白人の外交信条とする無良心の功利道徳が作る惨烈さんれつなる生存競争、血も涙も無い優勝劣敗掴み取りのタダ中に現在の日本が飛込むのは孩子あかごが猛獣の檻おりの中にヨチヨチと歩み入るようなものであります。この日本を救い、この東洋を白禍はっかの惨毒から救い出すためには、渺びょうたる杉山家の一軒ぐらい潰すのは当然の代償と覚悟しなければなりませぬ。私は天下のためにこの家を潰すつもりですから、御両親もそのおつもりで、この家が潰れるのを楽しみに、花鳥風月を友として、生きられる限り御機嫌よく生きてお出でなさい」

この愛国問題の最適解はまずもって日本国のキャパシティという定数を特殊解境界値として連立式に代入することから解かれる。そこにある既定値レベルの違いが外部環境の評価を決定する。すなわち、最適解は与えられなくとも、支那と日本国のキャパシティとの違いは人口・教育・国土・軍事・外交で支那が凌駕しているという諸外国の見立てが常に成り立つ。日本人が支那人の亜種のように見立てられる傾向は今も変わらない。支那には常に諸外国から過剰に評価されるストックの規模がある。そこが杉山茂丸のいう支那は不滅の地であるという所以だ。

これに対して昭和11年の周辺状況と同様に日本は日米安保がなければ、帰港のよりどころのない船のような島嶼列島のままであり、むしろ昭和11年よりも現在の版図は狭い。前にも申し上げたように、どんなに繁栄した国家でも将来価値の無い国家には再投資はなされない。たとえそれが民族由来資本であったとしても国内投資されない。持続可能な日本国が避けて通ることができない根本問題は日本国の外部不経済(原子力の負債)と税率増加傾向である。人口減少は税率のシフトの原因となる。

この國がこのままでは、自然、税率が高くなる環境(外部不経済の内部化)を嫌う民間投資資本は金融取引を通じて形骸民族資本に化けてゆく。社会的共通資本がいまのところ国内に留められているから今のところ日本国は維持されている。今のところ国債が国内消化しているというのもその現れである。宇沢弘文が云うような社会的共通資本(広い意味のストック)がこの國の競争力、投資先としての魅力の源泉である。それ故に国内投資が再投資化されて社会共通資本が留められている。それが愛國である。この反対を許容するのが売國である。だからリスクとは『組織の収益や損失に影響を与える不確実性』であって、きちんとした管理の対象であるのだから、法的、あるいは私的行動基準が準備されていなければ、組織の不確実性の大小ではなく、不確実性の認識を捨てることになるのだ。従って日本国のリスクを正しく認識し社会的共通資本を保全するばかりでなく、次の世代に手渡すことは為政者の良心の基礎である。其れが國のマネージメントの対象になっていない安保法成立以前の九条制限下の「適法」状態に戻そうとする日本共産党の国民戦線路線は反日であり、売國である。

『宇沢はもちろん、新古典派経済学を批判だけしていたのではない。社会的共通資本という新しい考えを提起した。それは市民的権利をいかに支えていくかを彼なりに考えた成果だろう。大気、河川、土壌などの自然資本、道路、橋、港湾などの社会資本、医療、教育、金融システムなどの制度資本を、政府が安定的に提供することで、市民が最低限度の生活を送りやすくするという構想だ。そしてこのような社会的共通資本は、官僚のコントロールではなく、専門家集団を中心とする市民的な取り組みで指導していくという。』コンクリートから人という単純な問題ではない。宇沢がそう意図せずとも市民が社会的共通資本をコントロールする典型的運動がナチスドイツのナチズムだ。
『宇沢弘文がシカゴ大学教授を辞めて東大に来たのは一九六八年であり 、私はそれを知らなかった 。ただ 、彼のことは 、年長の西部邁だけでなく 、イエール大学で出会った年少の岩井克人からもよく聞いていた 。さまざまの愉快なエピソードとともに 。しかし 、彼の本を読むようになったのは 、大分後である 。そして 『社会的共通資本 』を読んだ時も 、多くの点で賛同しながらも 、違和感が残った 。そもそも 「社会的共通資本 」という概念が気に入らなかった 。それは新古典派にもとづく考えである 。マルクスの場合 「資本とは 、自らを商品に転化し 、この商品から最初の額より多くの貨幣に再転化すべき貨幣である 」 ( 『資本論 』 ) 。つまり 、「資本 」は M ―C ―M 'という蓄積過程の全体を指す 。ゆえに 、コモンズは社会的共通資本ではなく 、社会的共通財と呼ぶべきである 。』柄谷行人 現代思想 2015年3月臨時増号

社会的共通資本、社会的共通財であれ、どういう呼び方であったとしても、貿易と外交の問題で市民が価格交渉をコントロールしようとするときには為替もコントロールしなければならない。結局は国家を市民が転覆し、乗っ取った上で運営せねば成り立たない思想である。これを愛国とは言えない。

では、愛国者はどうしたらいいのか?結論は日本国のストックキャパシティを上げるという政策政治に転換することだ。経済・財政、軍事・外交、環境・治水、人口・教育、国土・領海、外部環境からなる総合的なキャパシティの境界値となるボトルネック規制を大幅に拡げることで支那の見せかけに対抗するこれが将来世代に負担を残すことのない道である。例えば国債依存度の高い政府財務を大胆に変える。積極的に公共事業投資する一方で、最新と過去の公共事業の債務を順次、政府紙幣切り替えをすすめる事で連鎖する最悪の事態を避ける保険をかけておく。政府の信用創造により経済の投資回転キャパをあげる。個人のクレジット信用創造に社会保険料のストックを活用するなどの禁じ手も使う必要がある。ストック回転率を上げるためにインフラの廃止方法に関係する規制と利害関係期限などの私権制限をつくって更新障壁を強制緩和する。独自国内エネルギー源の開発により外部環境に対する価格交渉力の力学を変える。人口減少問題に対しては、社会的人工中絶を原則禁止とするとともに出生前後の養子縁組を税的に誘導する。ある意味このように既存の社会観念から自由になる捨て身の戦略がなければ黄金律は実現されない。さもなければ、日本国は近世ベネチアの轍を踏むことになろう。

引用
『「経世済民」の基盤となるものはすべてインフラであり、それらを安定的に維持しようとする活動はすべて安全保障なのです。』2015年9月30日三橋貴明氏より
引用終わり

三橋氏の「経世済民」の基盤となるもの、まさに、経済・財政、軍事・外交、環境・治水、人口・教育、国土・領海、外部環境からなる総合的なキャパシティのことであろう。



安倍首相「GDP600兆円」表明へ、介護離職ゼロ目標も=政府筋
ロイター 9月24日(木)12時35分配信

安倍首相「GDP600兆円」表明へ、介護離職ゼロ目標も=政府筋
 9月24日、安倍晋三首相(写真)は、夕方開かれる自民党の両院議員総会後に記者会見を開き、名目国内総生産(GDP)を600兆円にする目標を打ち出す。8日撮影(2015年 ロイター/Yoshikazu Tsuno)
[東京 24日 ロイター] - 安倍晋三首相は、24日夕に開かれる自民党の両院議員総会後に記者会見を開き、名目国内総生産(GDP)を600兆円にする目標を打ち出す。

【アベノミクス特集】

総裁再選が正式に決まるのを機に、経済最優先の姿勢をあらためて強調し、「介護離職ゼロ」の実現など社会保障制度改革にも力を入れる姿を示す。

複数の政府関係者が明らかにした。安倍首相は会見で、成長戦略のさらなる推進で強い経済を作り出すことなどを柱とした、新たな「三本の矢」を表明する。雇用・所得の拡大を通じて経済の好循環を回し、引き続き地方創生や国土強靭化を進める方針だ。

また、女性や高齢者の活躍推進などで労働力を確保するとともに、党総裁選でも公約にした介護離職ゼロの実現や幼児教育の無償化を進め、社会保障改革を加速させる。

名目GDPは2014年度に約490兆円だったが、今後600兆円まで増やす目標を掲げる。内閣府が7月に公表した試算では、実質2%・名目3%以上の高い経済成長率が続く場合、20年度に594.7兆円まで増える見込みだが、総裁の任期である18年度時点では554.3兆円にとどまる。


鶴見俊輔の夢野久作評価

「ドグラ・マグラの世界」(一九六二年)で、鶴見は、杉山茂丸の息子として、福岡の玄洋社の流れに位置づけられる作家・夢野久作(一八八九─一九三六)の小説に、国粋主義・国権主義への転向以前の民族主義──つまり、自由民権の拡大とアジア解放を求めるインターナショナルな視野を持つ民族主義者としての「世界小説」のありようを認める。

黒川創. 鶴見俊輔伝 (Japanese Edition) (p.326). Kindle 版. 





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