安部公房とわたし
作者: 山口果林
出版社/メーカー: 講談社
発売日: 2013/07/31~8月には東洋経済のインタビュー記事になっていたが、最近まで知らなかった。こうなったら安倍ねりの安倍公房伝も読むよ。
少しずつ、少しずつドキドキしながら読んでいる。普通の安部公房読者なら初めて知った人も多かったのではないだろうか。
なぜなら山口果林(現在は70歳)はかなり好きな女優だったからね。「若者たち」の三部作の最後に参加
- 若者たち(1967年)
- 若者は行く-続若者たち-(1969年)※撮影監督
- 若者の旗(1970年)
森川時久監督(2022年没)の好みだったから。左翼っぽい空気はあるが、そこが好きなわけではない。安部公房(本籍地は北海道上川郡東鷹栖町)今はファンと言えるのは作家中江有里だけ。
安部 公房 (あべ こうぼう、1924年 (大正13年) 3月7日 - 1993年 (平成5年) 1月22日) は、日本の小説家、劇作家、演出家。本名は安部公房 (あべ きみふさ)満洲で少年期を過ごす。高校時代からリルケとハイデッガーに傾倒していたが、戦後の復興期にさまざまな芸術運動に積極的に参加し、ルポルタージュの方法を身につけるなど作品の幅を広げ、三島由紀夫らとともに第二次戦後派の作家とされた。作品は海外でも高く評価され、世界30数か国で翻訳出版されている。
「砂」というのは、むろん、女のことであり、男のことであり、そしてそれらを含む、このとらえがたい現代のすべてにほかありません。だが、小説を書きあげても、「砂」はまだ私をとらえたまま、はなしてくれようとしませんでした。 — 安部公房「砂のなかの現実」安部公房といえばもう少し生きていれば、ノーベル文学賞は確実と言われた作家だから異境の世界であるし、その本の扉の安部公房撮影山口果林のヘアヌードからドキドキする。さらりと「セックスの相性は良かった。」なんて書かれていると、こっちが恥ずかしい。安部公房は奥さんにも週二回、山口果林にも週二回の安部公房のあっちは元気だったんだなあ。それと女の修羅場というのはデックスの回数まで言い合うんだな。想像以上の現実主義者だな。安部公房の浮気も盛んである。大塚英子を口説いた、安部公房、奥野健男、川上宗薫、北原武夫、黒岩重吾、五味康祐、亀倉雄策、黛敏郎と自著で何人かバラしている中にリストされる。安部公房はよほど山口を警戒して浮気していたらしく、「アベコウボウはね、あれ気が小さいんだよ。わたしが(自宅に)電話するとね、いつも声を押し殺してさ、なんかものすごくビクビクした感じで返事するの。書斎に女房が張りついているとは思えないんだけどさ、あれ、なんなんだろう。外ではあんなに威張っているのに」←訂正この言葉は大塚英子の記憶に残るゴードンのマダム古川裕子(ふるかわ ひろこ:昭和48年に自殺)の言葉であった「夜の文壇博物誌」(出版研)だから安部公房の三人目のお相手は古川裕子。大塚を含めた三人プレイを切望していたそうだ。この調子であれば、元気なころの安部公房は推定週6回は威張って3人の誰かとデックスしていたんだろう。安部公房は文豪であり性豪でもあったらしい。
『夜の文壇博物誌』は大塚英子の問題作だが文学者同士のつながりが見えて面白い。同じ麻布中学つながりの吉行淳之介と北杜夫と奥野健男(おくの たけお、1926年〈大正15年〉7月25日-1997年〈平成9年〉11月26日:昭和33年吉本隆明らと『現代批評』を創刊 化学も文学も理解できた異彩天才 70年代文学の原風景を流行させた。)が近い関係であるとか、硬そうなイメージの阿川弘之のお気に入り交詢会シローの彼女、大江健三郎と江藤淳の緊張関係を仕切った見えないカーテンとかその場の空気を吸っていたものでしかわからない昭和41年~43年頃の貴重な銀座夜景色遺産である。
堅物阿川のお気に入りがいた交詢社シローとは速田弘の店のあとだろう。
「カジノ・シロー」は、木野が書いていた「交詢社ビル(交詢社は福沢諭吉が提唱して結成された日本最初の実業家の社交クラブ)」と同じ住所
北海道旭川の風俗産業の開拓者でモダンボーイの速田弘(はやた ひろし)についてはこのブログが詳しい
実は大塚英子もHBC東京支社と縁がある。奇縁の不思議なトポロジーである。
大塚英子のイメージ、その当時よく似ていると言われていたそうなので。。とりわけ川上宗薫の師匠北原武夫(きたはら たけお 1907年2月28日~1973年9月29日)はほれ込んでいた。
先行する書評には『ほとんど20年に及ぶ安部との交際をひたすら隠し通した。そのことの苦痛、ストレス、困難がじっくりと語られる。読みながら山口に同情している自分がいる。しかし、どうして今ここで公表するのだろうか? これまでしてきたように、なぜ隠し通すことをしないのか?』と書かれているが、アイデンティティの曖昧な女優業ほど本当の自分はなんだったのか晒したかったのではないだろうか。『最初に若い住み込み店員に悪戯されたのは 、この店だった 。その青年が土間に射精するのを見た 。でも何故か怖いとは思わなかった 。両親に訴えたりもしなかった 。悪いことだと直感的に判っていたが 、幼児の私は 、気持ちがよいとまでは感じなかったと思うけれど 、嫌ではなかったのだ 。そうでなかったら 、閉店した日曜日に 、何度も出かけたりしただろうか 。家中の関心が 、初めての息子の誕生で沸き立ち 、突然ひとりぽっちで放り出された私は 、淋しかったのかもしれない 。私は 、この秘密を背負い込んで 「悪いことを平気でする自分は 、普通ではないのかもしれない 」という漠とした不安を 、ずっと抱え続ける 。将来も結婚できないのだろうと自分に言い聞かせた 。。。。。。。。両親は住み込み店員と私の 、日曜日の秘密を薄々察して 、苦慮していたと思われる 。現場を目撃したり 、私が訴えていればそれを理由に解雇もできただろう 。でも私は何も言わない 。打開策を探ったに違いない 。家族の住まいを別の場所に移す方策が浮上 。しかし 、経済的な問題もある 。すぐにというわけにもいかない 。なんとか私をこの状態から引き離す方法はないか 。。。。。。こうした私の幼児期の性的体験を 、初めて口にしたのは 、安部公房と付き合いはじめた時だった 。安部公房が何と言ったか正確な記憶はないが 、それまで抱えていた漠とした自己嫌悪や不安が氷解していった 。重い石が取り払われ 、溶けて 、身体が洗われていくように感じた 。初期の安部公房との付き合いの中心には 、私の安部公房への全幅の信頼と 、包み込んでくれる安部公房に 、精一杯応えたいという強い思いがあった気がする 。
。。。。。
仲間から 、噂を聞いていたようだったが 、娘からじかに事実を聞かされて 、心穏やかではなかったと思う 。しかし母は 、まったく何も聞かなかったかのように振る舞った 。以来いっさい安部公房の話題は親子の間で語られなかった 。子供時代の従業員の悪戯を母親に訴えられなかったときと同じだと感じた 。母親の流儀なのだろうか 。
』
半生記を出版した乙羽信子と新藤兼人との関係性もそうだったが愛人とはそういう影のもの。
左はマイケル・ジャクソンじゃなく水谷豊
昔からなぜか山口果林とか吉田日出子(吉田日出子いい女なんだが、若い頃のいい写真がないんで略)のような女優が好きだった。もう少し若い世代では。高橋洋子や大竹しのぶ。『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年:熊井啓監督)主人公・おさき役の高橋洋子(久しぶりの女優活動「八重子のハミング」)と『事件』(1978年 監督:野村芳太郎)坂井ヨシ子役の大竹しのぶは衝撃だった。最近のコミカルな「後妻業の女」もよかった。
僕らは女優というスクリーンに突出した窓から彼女たちを見るだけなんだけれども、僕らは自然、その仮想からその底にある人間を観てるんだよね。彼女たちの仮想の窓にはその家の中に入ってみたい言葉の外に滲む誘惑を感じる。誘惑は若さや美しさだけでなくそういう女優達はそういう仮想の家に自分が帰る幻想の旅路の終着点のような存在の女たちだ。共通するのは役柄としてスクリーンには出てこない隠れた奥行き魅力を備えていること。
山口果林にとってその奥行きの一つが安部公房であったことは全然知らなかった。あまり好みではない桃井かおりのような女優は反対に旅の初めか通りすがりの庵の窓みたいで、家に入ってみたいとは思えない。少なくとも思わせてくれない、故に終着駅を感じない。
このショットでは桃井かおりさんが憧れる人の前ですっかり女になっているところがおかしい。女子中学生みたい。
『特に感動して推奨してくれた本の幾つかをあげておく 。司馬太郎 「街道をゆく ・南蛮のみち 」 、ドナルド ・キ ーン 「百代の過客 」 、角田忠信 「脳の発見 」 、角田房子 「閔妃暗殺 」 、鶴見良行 「ナマコの眼 」 、陳舜臣 「茶事遍路 」 、吉村昭 「破獄 」 、澁澤龍 「高丘親王航海記 」 、色川武大 「狂人日記 」が印象に残る 。』
読んでみるか。百代の過客。