公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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今読んでる 『武士道の精神史』 笠谷和比古

2017-07-04 08:47:48 | 今読んでる本
ちくま新書2017.5月刊
笠谷 和比古(かさや かずひこ、1949年8月15日 - )は、日本の歴史学者。国際日本文化研究センター名誉教授。専攻は日本近世史・武家社会論。博士(文学)(京都大学、1994年)(学位論文「近世武家社会の政治構造」)。

兵庫県神戸市出身。甲陽学院高等学校卒業、1973年京都大学文学部史学科卒業、78年同大学院文学研究科国史学専攻博士課程単位取得退学、国文学研究資料館史料館助手、1988年『主君「押込」の構造』でサントリー学芸賞を受賞、1989年国際日本文化研究センター助教授、96年教授、2015年定年退官、名誉教授、帝塚山大学教授、2016年退職。1994年「近世武家社会の政治構造」で京都大学文学博士。


通俗的武勇譚や浄瑠璃、歌舞伎、草双紙、後には講談などが育てた武士道はあまりにもわれわれの無意識の中にあったので、新渡戸稲造さえ武士道を自分の造語と思ったほどという指摘は、なるほど日本人のなかに学問や説教・教義ではない武士道が特に江戸時代に始まり、それまでの長い道のりで期待された武士道(『期待される人間像』なんていうのが昔あったが)が変容を遂げながら、誤解と共通教養として育ってきた。よくわかる。

『意地』という概念について考えてみたい。

「石破氏は、安倍晋三首相(自民党総裁)が都議選の惨敗を受け、反省や謙虚といった言葉を使いながら、国政を前に進める考えを示したことに関し「言葉じゃなくて、国民に本当に、自民党は反省したと思ってもらえるかどうか。われわれの努力にかかっている」と述べた。」

石破は言外に武士として腹を切れと言っている。そうハッキリと言わない肝の小ささにこの人物をリーダーにできない理由があることを本人は気づいていない。緻密であることに自己満足している。小池百合子のほうがまだ総理の器に近い。

石破はひたひたと背中に小池の靴音が近づいてきていることに気づいていないふりをしている。国政は麻生がたたなければ自民党総崩れになる様相を呈していることに、自分だけが気づいているという自惚れが石破の人間としての限界点を見せた。


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