【訃報】音楽家の坂本龍一さん死去 71歳
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80年代に3人組バンド・YMOで世界的ヒット曲を生み出した。映画音楽でも知られ、88年には米映画『ラストエンペラー』で米アカデミー作曲賞を日本人で初めて受賞。晩年はがん闘病が続いたが、最後まで音楽作りに情熱を注いだ。
坂本龍一「1996」
このアルバムに収録されている1919にはレーニンの演説の音が入ってます。
レーニンは統制経済の失敗を経て市場経済を通じて社会主義へという路線に変更しました。彼の死後、歪められてしまいましたが。
音楽家が大局最適化の信者だった
バラカンさんは、YMOのレコードを制作していたアルファレコード(現・アルファミュージック)の販売戦略に疑問を持っていたという。
YMOのデビューアルバム「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」は78年11月に発売された。アルファレコードがアメリカのA&Mレコードと提携していたこともあり、翌79年5月、A&M傘下のホライゾン・レコードから米国盤が発売された。
「YMOはA&Mに所属していたチューブズ(The Tubes)というバンドの前座としてアメリカを回りました。その時にアルファレコードは雑誌記者を現地に飛ばして、『YMOが世界制覇』、『YMOのアルバムはアメリカで売れている』という記事をいっぱい書かせたんです。でも、アメリカでアルバムは全く売れていなかった。明らかな嘘で、そういう売り出し方が“クサ”かった。それに反発していたんですね」
初期のYMOに関しては、サウンドも苦手なところがあったという。
「僕は音楽評論家ではありません。単なる音楽ファンとしても好き嫌いが激しい。そして70年代後半、ディスコミュージックの行きすぎたブームが僕は嫌でした。人気があるからラジオでよく流れるけど、『またあのビートか』と思っていた。あくまで僕の耳には、初期YMOもディスコにしか聞こえなかった。コンピューターで作った“ピコピコ”という音も軽薄で、YMOに対する興味はなかったんです」
https://news.yahoo.co.jp/articles/55d3572842f3feabab8e41280d9dae7024df0fcd?page=3
サディスティック・ミカ・バンドこっちの方が本物のヒットだった。
1971年11月、元ザ・フォーク・クルセダーズの故人加藤和彦(ギター、ボーカル)、加藤ミカ(福井ミカ、ボーカル)、角田ひろ(ドラムス、現:つのだ☆ひろ)のメンバーで結成される。そこに高中正義(リードギター)が加入し、1972年にシングル『サイクリング・ブギ』でデビュー。
まもなく角田が自分のバンドを結成する為に脱退する。故人大口広司の妻真行寺 君枝、一時加入を経て、故人高橋幸宏が加入し、高橋に誘われて小原礼(ベース妻はシンガーソングライターの尾崎亜美)も加入した。
1973年5月1日、日本武道館でラブ・ジェネレーション・ライブ・コンサートを開催。
1973年5月5日、1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』を発表。小田和正がサポート・メンバーとしてピアノを弾いた。イギリスでもハーヴェスト・レコードから発売。国内では発売当初数千枚しか売れなかったが、イギリス、特にロンドンで評判となり逆輸入という形で評価されるようになった[要出典]。
サディスティック・ミカ・バンド、BBCの「THE OLD GREY WHISTLE TEST」出演時。同時期、ロキシー・ミュージックの英国ツアーの前座を務めた彼等は同バンドのマネージャーから「我々の最大のミステイクはミカ・バンドを前座に起用したことだ」と言わしめるほどの高度な演奏力で観客を熱狂させた(1975年) pic.twitter.com/yDct6e4bOH
— ken (@ken29716939) June 27, 2024
貴重な写真と共に
ご冥福をお祈りします