- 1921年大正十年9月28日、テロリスト朝日某に殺された安田善次郎の『意志の力』を読んでいる。本書は大正五年の著作である。
- 硫黄
「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」は善次郎の言葉とされている。二代目が家業継承に向かないための再登板の際の狂歌だろう。
収入の2割を貯金して、利益の10%を超える家賃または店舗は買わないという決心で、貯蓄した善次郎。本当の裸一貫で両替商まで成功した裏話は示唆に富んでいる。
『他人が何と評しようが、自分の立てた信念は一歩も曲げず』ということが出来る人は少ない。
今現代語で読み直す意義は、敢えて貫く頑固さが貴重ということです。陰徳が正しいことであっても、国家予算の8分の1以上にも及ぶ資産2億円(国家予算をベースに現在価値に換算したら現在日本人最高資産家ファーストリテーリング柳井氏のざっと10倍)を持っていれば(浅野財閥を足すと其れ以上の実態)あらぬ恨みも買います。善行を極めた結果、兇刃に倒れてしまったわけです。
ヨウ素
北海道では初めに釧路のあたりでヨウ素製造への取り組みが見られる。「北海道に於ける沃度及び塩化加里製造に関する調査」(9)には、「明治6~7年頃、鹿島萬平なるもの技術者を派遣し、釧路國厚岸郡濱中に於て之を試製せしめたるをもつて嚆矢となすと云う」と書かれている。そして更に、1879年頃(明治12年頃)鹿島萬平は厚岸にて製造を試みるが収支が合わず取りやめている、旨が記載されている。
前から私は日本独自のニヒリズムと指摘しているが、意志も善を極めると、最善の意志は死なのです。日本人は死を知っていたからこそ、妙を使いこなした。美も極めれば死し、真も極めれば死です。なぜなら普遍を個物にいれることは絶対的に矛盾する、われわれは死に向かって旅をしている。だから、この旅の理想は可能な限り素心を死の鏡に写して正直まっとうに生きるという事でしょう。妙を知るべし。
訃報
