身内が入院して回復の見込みが無い半身と記憶の不清明を抱えるようになってから、彼女のscope for imaginationは大いに発展した。しかしその殆どは作話だけれども。
身内の病状と必死に作話する姿に、とにかくそこに生きるヒントを頂いたような気がする。
誰にでも為したいことと、成したい自分にたいしては、引けを感じている。必ずそこにギャップが横たわります。
誰もがこのギャップを小さな嘘=scope for imaginationで埋めているか、
重大な避けられない壁に気づかないふりをしている。
時にそのことがリアルには恐ろしい側面がある。
私たちは日常、死さえもどこかの昔のお話のように、ここから遠ざけられるかのように知らないふりをして毎日を過ごしている。
何かの想像の創造で埋めて置かなければ生きていることさえもやめてしまいたくなる現実のギャップは無数にある。前向きに生きれば生きるほどその溝は深く増えてゆく。
目標に対して必ず達成できないギャップが生じる。
ギャップの分析をすることは普通の反省
しかし「もっと早く準備していれば」とか「人員を振り向けていれば」とか、その時点でどっちみち出来ない反省をしても全く意味がない。
ことが起こる前に<総ての可能な手段>を考え尽くす事なしに本当に意味のあるマネージメントは出来ない。