世界史の誕生という岡田英弘氏の立場から見ると、大清帝国の北京が夏の野営地として始まる植民地政府、征服帝王の中心地である事がわかる。ロシアのツァーリでさえ巨大な帝国の辺境の軍団の長に過ぎない。満洲帝国に限らず、東アジアの民族国家の成立の前史がパクス・モンゴリカの副産物、中原の強大化にある事がよくわかる。ー中原とはごく狭い領域の支那地方ー中原(ちゅうげん)は中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯の事だが、Google earthで支那の地方を観察して見ると、いまだに古代の城郭と周辺畑地の構造の繰り返しである事がよくわかる。農村戸籍、都市戸籍の区別など中国式租税システム、支配と交易と徴税の軍事的保護が基本構造となっている。コンビニエンスストアの販売側面が城郭市場であり、フランチャイズ料率が徴税人裁量である蔵管理官吏であると考えれば大清支那以来の巨大に見える国家的紐帯が非民族的フランチャイズの軍族(現在は中共党と解放軍)による強制された租税契約である事が理解できる。この構造はパクス・モンゴリカの遺構制度そのままだ。
支那を再生させたのは蒙古のおかげであり、第一次の漢人の支那帝国、混乱期(新、後漢、三国、北魏が台頭までの南北時代)、第二次の鮮卑族による支那帝国再生=隋と唐、混乱期(五代十国、南宋、西夏までの時期)、更に第三次の支那帝国が今も継続しているとかんがえるのも不思議ではない。
支那を再生させたのは蒙古のおかげであり、第一次の漢人の支那帝国、混乱期(新、後漢、三国、北魏が台頭までの南北時代)、第二次の鮮卑族による支那帝国再生=隋と唐、混乱期(五代十国、南宋、西夏までの時期)、更に第三次の支那帝国が今も継続しているとかんがえるのも不思議ではない。
『中華の周辺にあり、朝貢と冊封という国際秩序に組みこまれていた諸国を「東南の弦月」と「西北の弦月」と表現する歴史学者がいる。なかでも朝鮮半島や琉球のような「東南の弦月」は中華との一体化が顕著で、中華の権威を借りて自国の統治に活用した。一方、モンゴルや新疆の遊牧民、それにチベットなどの「西北の弦月」は常に経済的な実利を優先し、中華の文化と政治システムにはほとんど無関心だった。中国を訪れたいわゆる「朝貢使節団」も、その実態は貿易代表団だったと考えたほうがいい。 この「弦月」論や朝貢冊封説も、実は知らない間に中国中心史観の陥穽に陥っている。中国を中心とした二元論的世界観で、中国が一方的に周辺国に豊かな物資と華やかな称号(王位)を下賜し、文化を伝えていたという見方である。』楊海英 『「中国」という神話 ー習近平「偉大なる中華民族」というウソー 』より
『不思議なことに、中華の思想や価値観は一向に万里の長城を北や西へと越えることはなかった。仏教とキリスト教、イスラーム教は中国に伝わって定着したが、中国起源の道教や儒教が嘉峪関(万里の長城の最西部にある関)より西へ広がることはなかった。それだけ中国的な価値観と思想は、遊牧民にとっては異質な生き方で、受け入れがたい精神として映っていた。つまり内陸アジアの遊牧民にとって、中国人ははっきりと異なる文化、文明に属する人々だったのである。』
牧畜の機動的交通に農耕と漢人流民をうまく混ぜたパクス・モンゴリカの歴史遺産が支那の歴史。今も清朝崩壊後の数度のクーデター、忠誠と裏切りの歴史を繰り返している状況は変わらない。中国の国柄の成り立ちが商業交易の保証によってできているということ。化外の地としての満洲が非常によく描かれている。文明とか文化とかいう以前に、商売である事が、無給の地方役人を成り立たせたから、賂が当たり前となった。
北岡伸一は「陸軍の政治位置と派閥対立について、第一に陸軍が長州閥の拠点であり藩閥を代表する勢力であったこと、第二に陸軍内部に長州閥と陸軍省の優位に支えられた寺内体制が確立されていたこと、第三に反寺内上原派が台頭しつつあったこと、第四に国内政治の中で陸軍独自の役割が否定されていた。」を前提として中国政策が行われ歪み出したとして紐解くが、陸軍政治はパクス・モンゴリカの歴史遺産が支那の歴史であることを一つも考慮していない。支那は威圧であろうと協和であろうと提携できる相手ではない。唯一商業基盤を提供してうまく盗ませることを保証して成り立つ盗賊同盟なのだ。
追補2017.6.16 岡田英弘先生は2017.5.25心不全で永眠されました。最後は伴侶の宮脇淳子様と温かい焼酎を飲んで眠り翌朝は眠るように亡くなりました。
まもなく二・二六
蹶起趣意書(二・二六事件)
(昭和十一年二月二六日)北一輝編集
謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。
然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す。所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、その滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且(こうしょ;間に合わせの)偸安(とうあん;目先の安楽を貪り将来を考えないこと)を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむる、火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。
恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。
臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。
皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。
昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
外 同志一同
牧畜の機動的交通に農耕と漢人流民をうまく混ぜたパクス・モンゴリカの歴史遺産が支那の歴史。今も清朝崩壊後の数度のクーデター、忠誠と裏切りの歴史を繰り返している状況は変わらない。中国の国柄の成り立ちが商業交易の保証によってできているということ。化外の地としての満洲が非常によく描かれている。文明とか文化とかいう以前に、商売である事が、無給の地方役人を成り立たせたから、賂が当たり前となった。
北岡伸一は「陸軍の政治位置と派閥対立について、第一に陸軍が長州閥の拠点であり藩閥を代表する勢力であったこと、第二に陸軍内部に長州閥と陸軍省の優位に支えられた寺内体制が確立されていたこと、第三に反寺内上原派が台頭しつつあったこと、第四に国内政治の中で陸軍独自の役割が否定されていた。」を前提として中国政策が行われ歪み出したとして紐解くが、陸軍政治はパクス・モンゴリカの歴史遺産が支那の歴史であることを一つも考慮していない。支那は威圧であろうと協和であろうと提携できる相手ではない。唯一商業基盤を提供してうまく盗ませることを保証して成り立つ盗賊同盟なのだ。
追補2017.6.16 岡田英弘先生は2017.5.25心不全で永眠されました。最後は伴侶の宮脇淳子様と温かい焼酎を飲んで眠り翌朝は眠るように亡くなりました。
まもなく二・二六
蹶起趣意書(二・二六事件)
(昭和十一年二月二六日)北一輝編集
謹んで惟るに我が神洲たる所以は万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ遂に八紘一宇を完うするの国体に存す。此の国体の尊厳秀絶は天祖肇国神武建国より明治維新を経て益々体制を整へ今や方に万邦に向つて開顕進展を遂ぐべきの秋なり。
然るに頃来遂に不逞凶悪の徒簇出して私心我慾を恣にし至尊絶対の尊厳を藐視し僭上之れ働き万民の生成化育を阻碍して塗炭の痛苦を呻吟せしめ随つて外侮外患日を逐うて激化す。所謂元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党等はこの国体破壊の元兇なり。倫敦軍縮条約、並に教育総監更迭に於ける統帥権干犯至尊兵馬大権の僭窃を図りたる三月事件、或は学匪共匪大逆教団等の利害相結んで陰謀至らざるなき等は最も著しき事例にして、その滔天の罪悪は流血憤怒真に譬へ難き所なり。中岡、佐郷屋、血盟団の先駆捨身、五・一五事件の憤騰、相沢中佐の閃発となる寔に故なきに非ず、而も幾度か頸血を濺ぎ来つて今尚些かも懺悔反省なく然も依然として私権自慾に居つて苟且(こうしょ;間に合わせの)偸安(とうあん;目先の安楽を貪り将来を考えないこと)を事とせり。露、支、英、米との間一触即発して祖宗遺垂の此の神洲を一擲破滅に堕らしむる、火を見るより明かなり。内外真に重大危急今にして国体破壊の不義不臣を誅戮し稜威を遮り御維新を阻止し来れる奸賊を芟除するに非ずして皇謨を一空せん。
恰も第一師団出動の大命渙発せられ年来御維新翼賛を誓ひ殉死捨身の奉公を期し来りし帝都衛戍の我等同志は、将に万里征途に登らんとして而も省みて内の亡状憂心転々禁ずる能はず。君側の奸臣軍賊を斬除して彼の中枢を粉砕するは我等の任として能くなすべし。
臣子たり股肱たるの絶対道を今にして尽さずんば破滅沈淪を翻すに由なし、茲に同憂同志機を一にして蹶起し奸賊を誅滅して大義を正し国体の擁護開顕に肝脳を竭し以つて神州赤子の微衷を献ぜんとす。
皇祖皇宗の神霊、冀くば照覧冥助を垂れ給はんことを。
昭和十一年二月二十六日
陸軍歩兵大尉 野中四郎
外 同志一同