公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

明日の神話

2010-04-27 19:46:56 | 日記

「自ら未来をつくることにはリスクがともなう。しかし、自ら未来を創ろうとしないことのほうがリスクは大きい。」

ドラッカー
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「人間と言うものは、現に持っている物に加え、さらに新たに得られるという保障が無いと、現に持っている物すら、持っている気分になれないものである。」

  マキャヴェッリ 
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(私の考え)

 人間は怠惰で、貪欲だ。怠惰なのに貪欲という厄介な生き物だ。

 世界は資金で回り、複利で資産を増やすことを前提に、資金は私たちの血管を流れている。
 まず。そもそも、金利は合法なのか、金利の根拠はどこにあるか、誰も疑ることの無い前提だが、歴史は証言する。
 永らく、ユダヤ人でさえ、異教徒から金利を取ることを許していたが、同胞から金利を取るものではなかった。
 戯曲は証言する。シャイロックが貸金契約の遵守を要求できなかったのは、イングランドの田舎の戯曲の中だけだった。
 ましてや現代のように複利で金利を取るものではなかった。

 経済が成長できるうちは、複利で金利を回す事ができても、永年そうであるという前提はすでに崩壊している。ありもしない成長を計算書に書き込んでごまかすしかないとこまできた。

 それが神話、明日は今日もらった歩合より多く貰えそうと期待する有益な誤解が人間を未来に隷属させている。
 人間は怠惰で貪欲であるが故、明日の財物に隷属している。
 それゆえに明日の財物の使い道を握っている資本家が労働者を永遠に隷属させるのだと主張したのがマルクスだった。

 しかし、それも資本主義的生産関係という繁栄のビジネスモデルが前提だった。
 もし明日の神話を復活させることを望むなら、複利の正統性を疑わなければならない。


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