公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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忠にして恕

2017-11-30 12:11:00 | マキャヴェッリ

臨済宗円覚寺 横田南嶺老師 揮毫色紙



忠恕といえば小泉純一郎が下手な筆運びで揮毫した二文字だが、私から数えて4代前の祖父(高祖父)は岡山忠恕という名前で、忠にして恕の道を歩んだ。近藤勇と同い年で、吉田松陰の4つ下1834年の生まれ。私から数えて120年余前に生まれた祖先となる。
この人の人生の前半はまだ完全な江戸時代で、葛飾北斎や滝沢馬琴、十返舎一九もギリギリ生きていた。水戸藩の地方官吏、幕府側の砲兵として鳥羽伏見の戦に、後半は地元のインフラ(学校、橋など)を建設した。中央官庁以外は公的建設費が出ることがなかった時代、自らはもちろん、私費を集め投じ橋をかけた。忠恕は藍綬褒賞をいただいている。五峰の号でも呼ばれる。五峰は弘法大師が開いた「真言密教」の五大色の名前が付いた5つの峰(青峰,黄峰,赤峰,白峰,黒峰)で構成されることに関連している。→サヌカイト→中央構造線

 
明治にはそのような人々が階層として5%ほどいた。この世襲爵位もない名誉市民的旧領主系の市民が日本の近代化の礎を築いた。大正期まで料亭などで殿様でも旦那でもなく、維新勲功により出世した官吏ではない民間人で御前と呼ばれていた階層である。

忠といえば、上司ないし支配者、絶対権威がいて忠が成立し、恕といえば、社会を思いやる細かさが求められる。この上と下の間で人間として正しい選択をするそれが矛盾であっても己に課せられた忠恕の道である。合理的精神で権力の執行を突き詰めれば律と令の速やかな執行、敷衍が第一義となるが、朱子学が前提とするように、律令や作法の届かない民草にある社会が暗黒であるわけではない。これが国柄というもので、世間の陰陽(ケとハレ、潜と顯)の中に生身の人間同士の経緯配慮と自己保存に対する思いやりがあるかないかでその國の未来と国柄が見えてくる。長い間支配者に阿る歴史だけの國は忠恕の矛盾を抱える度量(民衆のリーダーたちの国柄)を失わせる。長い歴史を顧みることもなく、一人で生まれた気分でいる正義原理主義だけを信じてきた団塊世代の中には正義に忠ならんとして思いやりの欠片(かけら)もなく利己的、部分的な忠恕、被害者人道主義に陥っている。はては総括リンチ事件である。つまり絶対的被害者がいなければ恕の心が芽生えない乾燥しきった心しか持たない。そういう人間も国柄と時代によっては生じうる。
現上皇陛下 昭和58(1983)年の「50歳の誕生日会見」の天皇陛下のお言葉ー忠恕解釈
「好きな言葉に『忠恕』があります。
論語の一節に『夫子の道は忠恕のみ』とあります。
自己の良心に忠実で、人の心を自分のことのように思いやる精神です。
この精神は一人一人にとって非常に大切であり、
さらに日本国にとっても忠恕の生き方が大切ではないかと感じています」


忠恕は内訌激しく争った水戸藩内の負け組を命を奪うかわりに蝦夷地の弟子屈に放逐したが、自分の親父の流浪の命を救ったのはその負け組の子孫だった。生きていた世代でも北海道移住者の子や孫の世代だが、茨城県保内郷の岡山と名乗り家出の事情を説明すると行き倒れの浮浪者にしか見えない父に対して奥にいた長老が居ずまいを正して丁重な扱いで介助してくれた。奇跡のような逸話である。




意外なことに忠恕に類するプラクティスは米英法にもある。それはいわゆるコモンローcommon law にあたる判例に忠実な忠恕の忠と、エクイティequity と呼ばれるその裁量的修正である。この修正裁量のあり方が民衆に向かっているとき、これは忠恕の恕に相当する。実際の米英法は特権保護や競争者の排除に悪用されて使われているので、忠恕を法体系として確立することは至難必至であることがわかる。子を想い苦しみを耐え抜いた親を小さな権力者であるかのように定義して家族制度の旧弊と断罪し、家族の上下を拒絶して否定してきた日本の戦後の世代がある。その世代の正義原理主義者の一人小泉純一郎とて、今死にかけた人の子の親となって子のことを考える立場となれば忠恕の本質に目覚めることがあるやもしれない。この男ほど親に助けられてきたボンは滅多にない。忠恕の揮毫は気まぐれにしてはよくできた戒めである。


ましてや木の葉の裏表の様に気まぐれに交代する当代支配者に阿るだけの歴史の國を出身国とする半島の人々とともにあっては忠恕に目覚める機会もなかっただろう。しかし人間の本質として親のない子はいない。知らない場合もあるが。。

国柄のない国や目的だけの社会集団には、忠にして恕の度量の実現は難しい。それでも権謀のマキャベッリは忠恕を教えていないわけではない。しかし日本人が求めるものよりは数段下位の忠恕、一種の施し、憎まれないための施しである。忠恕の恕は、施し→救済→保護→啓蒙→赦しという順に文化レベルが上がる。

君主論では
『愛されるより、怖れられる方がずっといい。
人間というのは総じて恩知らずで、気まぐれで、嘘つきで、いかさまで、
危険を嫌い、儲けにはどん欲である。だから、よい待遇さえ与えればついてくる。
とはいえ、あなたのために血を流します、財産や命、子どもも捧げます、
と言ってくれるのは、天下太平のときだけである。
君主が危機に陥るや、彼らはそっぽを向く。
そういう空約束を信じきって何の手も講じない君主は、必ずや滅びる』

一方で
『君主は怖れられなければならないが、愛されない場合も、
少なくとも憎まれぬようにすべきである。憎まれずに怖れられることは可能である。
人の財産や女に手をつけさえしなければ、憎まれることはない。』

日本であれば【人の財産や女に手をつけさえしなければ、憎まれることはない】程度の思いやりなら誰にでもできそうだがこれが国柄というもので、イタリアでは当時はなかなかできないことらしい。しかし憎まれないことが恕の精神ではない。無償の愛からの思いやりもあれば利害関係を円滑にする為の思いやりもある。しかし前者のように継続できない道徳を人に求めても、意図とは反対に求める規則が死んでゆくだけである。律令以外は暴力が支配する暗黒でいいという世の中にだけはしたくない。上記の理由で、かといって律令を増やしてゆけば良い国柄になると信じるわけにはゆかない。

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