公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる 『クラーク魂』 藤田正一

2018-05-31 14:30:00 | 今読んでる本
副題に まぐれで北大副学長になった男の半生 とある。10年前の初版本
 『クラーク魂』 藤田 正一
1963年北大理類入学
1967年北海道大学獣医学部卒業。オレゴン大学生物学修士号取得後、
アルバート・アインシュタイン医科大学大学院博士課程入学。チーズバーガーのない街からユダヤ人社会を知る。             
同大学博士課程修了後、千葉大学薬学部助教授となる。
その後、北海道大学獣医学部教授となり、同大学総長補佐を務める。
前北大副学長。2003年-2007年、北海道大学総合博物館長。
2008年-現在、北海道大学名誉教授となる。平成遠友夜学校 校長(発行時)


  • 藤田正一(脚本)『清き国ぞとあこがれぬ(テレビ放映およびDVD発売)』HBC北海道放送、2013年。

もちろんTVは見ていない

たった二年の寮生活が人生の転機に先生自身と彼の周辺を誘導している様子がわかる。住んだことがなければ伝わりにくいが、恵迪寮生活ましてや応援団にあっては大人になる実試験の環境だったことがよくわかろう。汚いだけの寮ではなかった。最近入寮40年の行事があったらしい。行けなかったが、、自分たちより14年先輩にあたるから、違いがあろうかと思ったが、ほとんど同じ生活だった。違うのはストーム部屋回り、寝ている寮生は床の上でお付き合い拍手で済んだようだが、我々の時は真っ暗な中、一緒に踊っていた。それが歓迎の流儀だった。無礼なストームも多くそういうのは踊り潰した。うれしいことに水産出身者にも触れている。書けない悩みとは何だろうか。10年後の今はその悩み書けたのだろうか?



この先生が日本にいなかったのは11年間だが、立派な研究者として帰って来た頃1978年に私は寮生だった。面白い観察は11年間のあいだに女性たちの女言葉が使われなくなっていたということ。たしか、ですのよo 、とか、ですわa、なんて母音に気持ちを柔らかな残声を残す語尾だった。文末詞『だわ、だわね』や、『ねええ』や、女の疑問表現『かしら、わね』『わよね、なのよね』『ですのよ』『ますわ』はほぼ言われない。
1960年代末の女言葉は兼高かおるのこの動画をご覧ください
この間に流行したのが水前寺清子や佐良直美の中性的人気者のドラマ「ありがとう」などの喋り方だった。大人にならなくてもいいという反≪伝統≫社会的風潮が渦巻いていた11年間だった、故に藤田先生は学園紛争と言われた誰が敵で誰が味方なのかわからない紛争ゲームに巻き込まれることもなかった。




この世代の女性が昭和前半の女性像を破壊した









 
そしてその娘の世代が男性像を破壊して男をメッシー アッシーにした









 
拝金時代がいまも続いている。
そしてその次の世代の女性が21世期に入って10年ほどでパソコン、携帯電話・スマートフォンと適応しながら、ら抜き言葉に奇妙な礼儀を身につける女性たちが登場する。







なにわともあれ 無左翼 それ故に獣医学部に戻って見事な研究室運営ができたのだろう。

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