公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

Born this way - case 1 -

2011-02-15 19:10:00 | マキャヴェッリ
1995年に小学校に入学した我が子が今年は社会人になる。勿論、本当の子供ではなく、ベンチャーである。
1988年と言えば、その我が子が誕生した年であるが、非常にぼんやりとした可能性の研究にすぎなかった。核酸医薬品も、抗体医薬品(追補2020年PD-1抗体、「オプジーボ」(小野薬品・米国Bristol-Myers Squibb;BMS社)と「キイトルーダ」(Merck社・MSD社)の世界市場での売り上げ(英Evaluate社予測)は、2024年にそれぞれ113億ドルと170億ドルは合計3兆円に迫る巨大ブロックバスターへと成長)も姿の無い時代だった。

その頃を知る人と久しぶりにあったが、22年も時が止まった会社が目の前にあるかの様だった。

「生まれたからには、生まれなければならない。」

この修辞矛盾のような私の標語は、論理的な言い回しでは表現出来ない私の人生の通奏低音、心境のようなものである。

本当の人生が始まったのはつい11年前のことに思える。なぜなら、生まれなければならない焦燥感を感じたのは、会社が非常に狭い房のように思えた事と同時だったから。

当時実は自分はまだ生まれていないのではないか。本当の人生を自分でコントロールする事を予め放棄している、そう感じた。私も↓こういうタイプのサラリーマンだった。

「敬意を払われることなく育った人には、敬意を払われることによって得られる実用面でのプラス・アルファ、つまり波及効果の重要性が理解できないのである。故に、誠心誠意でやっていればわかってもらえる、と思いこんでしまう。(「悪名高き皇帝たち」)http://goo.gl/nJDO」

塩野七生

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大相撲を改革するには | トップ | 展示会最終日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。