公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

修辞的技法『オールジャパン で世界一』

2018-09-06 07:00:07 | 経済指標(製造業)
《計画を率いる理研の松岡聡・計算科学研究センター長は、「(前回は)『オールジャパン で世界一』という昭和的な発想があった」と話す。》アカヒ

昭和的というには『オールジャパン で世界一』という修辞が昭和以外にはなかったという実証が必要だ。役人が先輩の仕事をディスりネタにすることはないので、アカヒにまんまと誘導されたディスりありきだけの修辞的『オールジャパン で世界一』ならここにはいらない。

スーパーコンピュータの国策機「京」はつかいやすさと効率を目指すということらしい。昭和的という意味はスペック競争のナショナリズムを排除して実用価値の高い設計をするという方針は昭和の時代は目指していなかったということだろうか?

松岡聡・計算科学研究センター長様の真意と開発の沿革事実はさておき、サプライサイドのキャッチアップや自前主義や純国産という目標や価値観は、世界をリードできなかった昭和時代の日本の旗印であり、企業で言えばシェア競争のために利益や開発を後回しにしてまでもトップ企業になることが営業の旗印だった時代に相当する。そういう意味では成熟期を迎えたとも言える。

個人的経験でも、日本の遺伝子治療の開発は90年頃、世界にかなり遅れていて、純国産ベクターに国内で発見された遺伝子を乗載せて治療に応用するというまさに『オールジャパン で世界一』の夢があった。iPS細胞化ベクターでその夢も治療が実現できれば叶ったことになる。国の予算も随分と使わせていただいたので、是非活きているうちに患者の回復を見てみたい。

これはナショナリズムではなく、オールジャパンの旗が必然性をもって合流するから自然な成り行きであり、当時は予算獲得の希望を美しく魅せるために出てくる修辞的技法である。モーレツ時代や昭和は関係ない。
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