公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる『夜の文壇博物誌』大塚英子

2018-09-08 10:25:00 | 今読んでる本

『古川裕子 … … 、岡山県倉敷市出身の古川裕子は 、私の大恩人である 。偉大な恩人である 。しかし 、私を助けたその本人は 、六年後自らの命に終止符をうった 。彼女を愛した青年が 、彼女の裏切りを知り命を断った 。彼女は 、自分一人生きびることを潔しとしなかった 。青年のあとを追ったのだった 。四十三歳であった 。昭和四十八年八月十五日 、彼女は逝った 。』

古川裕子は感電死だったそうだ。
本当はあまりこの本や『「暗室」の中で』などに興味はなかったが、文庫の表紙カバーは彼女自慢の形の良いお尻?

別の投稿の資料として読んだ。これが問題作という謂れは、ここに扱われた小説家 詩人 評論家の性癖と気質をネタにしているから。
『いつ 、私の沈黙という木の洞が爆発するかわからないのだ 。深刻なお心あたりのある方々に 、私は慈悲の心で自省を促すものである 。どうか 、そっと 、そっとしておいて頂きたい。』
はっきりと脅しています。


下顎の出た反対咬合アンダーショット好きの吉行淳之介は古川裕子も大塚英子も好みだったらしい。

H B C北海道放送東京支社勤務をやめたのは不倫が原因だそうで。今年は80歳ですか。

当時似てると言われたと言う中原淳一のイラスト 確かに似ている。
とそのオマージュののん


中原淳一のモデルをしていたファッションジャーナリストとしての記憶のほうが長い大内順子が大きなサングラスをかける事情(引用では自動車事故となっているが、本当はどうなのだろうか?こんな美貌で生まれどんなに傷ついたことか痛みが伝わってくる)が発生する前モデルの頃の写真。たしかにイメージが画風に近い。

 



著者略歴大塚英子 (おおつかえいこ )一九三八年 、東京に生まれる 。一九五六年 、長野県立上田染谷丘高校卒 。 H B C北海道放送東京支社勤務を経て 、銀座の文壇バ ーへ 。その後 、吉行淳之介の 「暗室 」の中で隠生活を送る 。著書として 、吉行淳之介との二十八年間にわたる衝撃的な愛の日々を綴った 『 「暗室 」のなかで ― ―吉行淳之介と私が隠れた深い穴 』 、小説集 『妖夢 』 、 『 「暗室 」日記上 ・下 』 (いずれも河出書房新社刊 ) 、豆本 『吉行淳之介の鞄 』 (未来工房刊 )がある 。


こちらは誰で昭和


昭和43年の 黒柳徹子 by 篠山紀信

今 20230929

黒柳徹子のインスタグラム(@tetsukokuroyanagi)より

 


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