公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今から6000日ほど昔の話

2010-09-02 22:58:43 | 日記
 今から6000日ほど昔の話、ある考えに基づいてベンチャーの企画を考え、仲間とほとんど徹夜で遺伝子治療の会社の申請資料を書いていた。ぎりぎりまでマッキントシュIICiを使って実のなる木の図などを描いていた。
 その1年前、自社においてもまだ知る人の少ない遺伝子治療ベクターのプロジェクトを携え、協和発酵という製薬会社に共同出資をもちかけた。
 私たちは2名、同社の小乗仏教の団体の応接室に通され話をした。60歳近かった担当の管理職のOさんは、おそらく何やら訳の分からない技術話をする若造が2人して会社の壁を乗り越えて共同出資の話をしていることに驚かれた事だろう。しかしあとから合流した当時の研究所長のI役員さんは多いに勇気づけてくれた。自社でさえ応援する人が少なかったプロジェクトに、初めて会った協和発酵の役員さんに励まされるなどという事は考えてもいなかった。

 当時ベンチャーなどという言葉さえ日本では普通に理解される言葉ではなかった。そこから私の今日が始まったと言ってもいいだろう。柏レイソルがJに参加申請して却下された年の事だった。1回目の公金出資の申請は却下され、流れた。しかしこの申請は異例だった。全く民間の発案であった申請事例はそれまでになく、それまでの実態は申請という形をとった大先生を据えた国プロプログラムが常識だった。しかし順番はどうであれ、2年目はこれまでどおり上から始まった。
 厚生省主導のこの動きが日本中の製薬会社11社を巻き込んだ米国遺伝子治療視察デリゲーションに発展し、医学会の支援も受けて翌年正式にベンチャーが始まる事になった。それがディナベック研究所だ。この時に残った会社は7社。他の会社がどういう目論見の参加なのかわからないまま事業が始まった。
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