公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

13日間の試練の後、2015年日本人は全員イスラエル人になった

2015-02-02 07:17:10 | 日記
なぜ殺害されるのか?どんな罪か。わけの一分も理解できぬまま13日が過ぎた。怒り憤り無力の虚無に包まれて過ぎ去った。この13日で日本の舞台背景は回り舞台の急展開で、人道支援から加害者の絵の中に嵌め込まれてしまった。山本美香さんを殺害しても引き込めなかった有志同盟におびき出すことに奴らは成功した。

2013年私は「いくつかの解の中にある未来」の中で、中国と米国のにらみああいに言及したが、好まなくとも、理不尽であろうとも、今一層明確に世界が二分されるつつある。それはイスラエル人か非イスラエル人かという立ち位置の二分だ。念のため言っておくが、イスラエル人などこの世界に存在したことなどない。イスラエルの地に住む様々な民族起源があるにすぎない。それが、イスラム国という偽の名の人工的ムスリム世界が起こしている最悪の恐怖統治と侵略を許す人か許さない人かを区別するだけの新しいイスラエル人の基準が昨年誕生した。現在非イスラエル人に中国とロシア、イランの一部が帰属している。そして当のイスラム国人はどちらにも属さない、なぜか、それはイスラム国が両者を内包しているからだ。あたかもポストモダニズム的二値化主義に反論できない世界しかこの世には残っていないかのように。二分されたのだ。

この事件によって、2015年日本人は全員イスラエル人になった。



またしても、日本は、安倍晋三の「中東歴訪が挑発だった」などというデマの論難に追われている、似非な論難を以って反論を強要する非対称な議論の罠に投げ込まれてしまった。昨夜のNHKの特集は冒頭から安倍首相の経済支援の責任という構図をもってきていた。客観的報道を装って、政府を批判するのが自分たちしかいないと誇っていいのが、ジャーナリズムと思っているのだろう。悲しい人達だ。そういう構図のなかに生きているもの達には、後藤健二氏の動機など理解できないだろう。真のジャーナリズムは情報のないときと情報のないところで真価(分析と自己統治)を発揮する。

昨今のマスコミに顔を出す、通信社に毛の生えた外電翻訳論説など分析とはとてもいえる代物ではないし、ましてやスポンサーや情報の買い手にに媚びる筆入れの類はもはやデマゴギーでしかない。

真のジャーナリストとジャーナリズムの死に対して、ご冥福をお祈りいたします。
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