『十二月十九日
踊りつかれて 、戻つてきて 、読経した 。
本来空 、畢竟空である 、空即空 、色即色だ 、この事実が観念としてゞなく体験として滲みだした 。執着を去れ 、自からごまかすな 、我を捨てゝしまへ 、気取るな 。
△色即色だ 、それが空即空だ 、十方無礙の空であり 、不生不滅の色である 、色に執するが故に色を失ふ 、空を観じて色に徹するのぢやない 、色に住して色に囚へられないが故に空に徹するのである 、喝 。私はしゆくぜんとして私を観た 。』
踊ることが何かを落としたのだろう。ここにみえるのは
種田山頭火の身体そのものに備わる思考である。
色即大誠意
空即是大思考
色即是 大誠意
空即是 大思考
大きな虚を以って大誠意とする。虚を支配することで、ついに全体を支配する境地を得る。虚とはなにか、実の反対、理の反対、世間の側から見れば、まさに大馬鹿になることである。ここに、興味深い藤田伝三郎翁の言葉が残っているので引用しておく。実業に生きるものは実を支えている虚を忘れてはいけない。
『藤田は暫く考えて居たが、斯く云うた。
「私が五代友厚等と日本株式会社の創始を相談したのも、我が帝国の工業を盛んにしたいと思う趣旨にほかならないので、私は一言の不同意も申す筋もありませぬ、成程、貴下のお話の通り松方候の経済論は、日本内地に限られた旧幕経済であります。日本が外国と通商条約をした以上は、外資の疎通をせねば、国は開ける鍵がありませぬ。世界の国々は、決して自国の経済だけでは其の経済が発展するわけがありません。・・・しかし私は一言貴下に私の経験上の御注意を申して置きたいです。・・。貴下が米国の資本家とのご相談は、貴下が金を借りてくることではござりませぬ。・・それから貴下は、決して金儲けをしてはいけませぬ、貴下が金儲けをしたら、其時から人が貴下の言うことを聞かぬようになる物とご承知になりたい。』p232 「俗戦国策」 杉山は二二が四ではなく、敢えて無知蒙昧の二二が五で正論に対向するという。其の後に二二が四を知らない無知を礼を尽くして謝罪し、所期の二二が四.五論を聞いてもらう。この技はこうして生まれている。国論が定まっているときには、虚を制して全体像のなかでは国論正論も発展途上であること(従って馬鹿の意見もときには聞く必要がある)を思い知らせる。杉山は極論で憤死していった筑前の先人たちを思うからこそ、ここは実業で重要なところである。三千円を借りて生涯忘れない教えをいただいたと述べている。
モジリアーニの少女に見える。本文とは関係ありません。