トレーディングについての 4番目に読んだ本は、エドウィン・ルフェーブルの書いた古典、『欲望と幻想の市場――伝説の投機王リバモア』(東洋経済新報社)で、これは古今未曾有の称賛を浴びたトレーダー、ジェシー・リバモアの物語である。これはトレーディング関係でおそらく最も引用される頻度の高い本で、ジャック・シュワッガーの本に出てくるマーケットの魔術師たちの多くが愛読した本である。
読んでみよう。
才気にあふれたリバモアであったが、彼は最後までトレーディングゲームの心理的な側面を完全に理解することがなかった。『ダウ 1000』のなかでベントン・デイビスが書いているように、「リバモアの成功の原因は数字に対する天賦の明敏さとともに、ほとんどの人間が授かっている資質、つまり警戒心を完全に欠いていたことである」。リバモアは、大金をつかむか文無しになるかというタイプのトレーダーで、生涯のうちで少なくとも 4回は完全に破産に追い込まれた。 1930年代初期に SEC(証券取引委員会)が設立され、さまざまなタイプの市場操作が禁止されてからというものは、リバモアはトレーダーとして無力になった。彼は 1940年、自ら頭に拳銃の弾を打ち込んで生涯を終えた。遺書には自分の人生は失敗だったと書かれており、彼の遺産は 1万ドルに満たなかった。
永ちゃん大丈夫?
1970年代で、成功した唯一の取引例は、 CBOE(シカゴ・ボード・オプション取引所)におけるエクイティオプションであった。 1975年の終わりに隠退した父から、自分に代わって運用するようにと 3万ドル預かった。その資金を主としてメリルリンチ経由でコール・オプションに注ぎ込んだ結果、 1976年の最初の数カ月でその資金は 7万ドルにまで増えた。ところが結局、 1976年の残りの期間で稼いだお金をすっかりなくしてしまった。 1970年代は、商品先物トレーダーのための 10年であった。ジャック・シュワッガーの『マーケットの魔術師』(パンローリング刊)に出てくる人物の多くは、この 10年間のブル・マーケットの波に乗って富と名声を築いたのだ。この 1970年代のまたとないブル・マーケットで、私も 1973年には大豆、 1974年には砂糖、 1976年にはコーヒー、 1979年の暮れには金の取引をした。このときの戦果として誇るべきものは何かと言うと、それがまったくないのだ。