トドの小部屋

写真付き日記帳です。旅行記、本や美術展の紹介、俳句など好きなことをつれづれに。お気軽にどうぞ。

広島、松山、倉敷の旅:11月7日~10日、2017年 3日目

2017-11-13 16:24:39 | 旅行
11月9日(木)。今日は夫は石鎚山登山。私は一人で松山市内観光と1日別行動する予定でした。夫はまずレンタカー屋に向かうため早く宿を出たんですが、8時過ぎに電話がかかり、石鎚山スカイラインが台風被害で通行止めで、登山口までたどり着けないとがわかり、一緒に市内観光をすることになりました。道後温泉本館前で待ち合わせました。夫が乗ってきたタクシーがそばで待っていて、1日観光タクシーをしてくれるという話がまとまっていました。タクシーで回るなんて贅沢だし、時間を限られるといやだと思ったんですが、夫がそのほうがいいというので従いました。道後温泉本館では、3段階の入浴料金設定がありますが、真ん中の霊の湯を選びました。霊の湯を選ぶと大衆浴場の神の湯も入れるし、皇室専用のお風呂「又新殿」見学も無料になります。浴衣、貸しタオル、お茶と煎餅のサービスがありました。まず、霊の湯に入りました。たまたま風呂は私一人だけで、とてもリラックスできました。風呂場も石造りで照明もレトロな感じ、浴槽は深くて湯がなみなみと。本当に良い湯でした。一旦、上がって休憩した後、今度は神の湯に入りに行きました。神の湯は真ん中に楕円型の深い浴槽があり、石像が二つありました。大国主命と少彦名命だそうです。風呂上りに清美みかんのジュースを一瓶買いました。美味しかったけど大きな瓶で飲みきれず、持ち歩く羽目になりました。タクシーだったからまだ良かったですが。



次に伊佐爾波神社に行きました。創建は平安時代の古社。現在の社殿は1667年に松平定長が建て替えたもので、京都の石清水八幡宮、大分の宇佐神宮と並ぶ八幡造りの社殿が珍しく、国指定重要文化財だそうです。とても美しい社殿でした。内部が回廊になっていて、一巡できるので、社殿を横からも後ろからも観ることができました。回廊に2つの御神輿が置いてありました。10月7日のお祭りは盛大だそうで、135段の急な石段を御神輿を担いだまま降りるんだそうです。



その後、道後温泉駅近くの坊ちゃんのからくり時計を見学しました。ちょうど11時頃だったので、からくり時計が上に高く伸びて中の人形たちが出てきたところを見れました。その後、松山市立子規記念博物館に行きました。ここでは、正岡子規の若い頃から、上京後の活動まで詳しく辿れました。じっくり展示物の記載を読んでいるとかなり時間がかかります。見応えのある博物館でもっとゆっくり観たい気もしました。次に松山城に行きました。現存12天守の一つだそうで、ここは必見。標高135メートルの勝山山頂に建つ城で、ロープウェイ、またはリフトでアクセスするんです。私たちは行きはロープウェイ、帰りはリフトで降りました。



その日の昼食は城の近くの店で餅入りぜんざいを食べました。昼食後、松山城二の丸史跡庭園に行きました。入園券売所前に、無料のみかんがあり、一つ食べました。この温州みかんは、園内のみかんの木で採れたんだそうです。中に入って納得しました。園内に色々な柑橘類の木があり、たわわに実ってました。園内の区画は藩主の二の丸御殿の間取りを再現したものでした。庭園の片側は流水園でした。



次に子規堂に行きました。正岡子規が17歳まで暮らした家を正宗禅寺境内に復元したものです。正岡子規のお墓と正岡家累代の墓にお参りしました。



最後に伊丹十三記念館にも行きましたが、そこは時間が足りませんでした。松山駅まで送ってもらい、特急しおかぜで岡山へ。岡山から山陽本線に乗り換え倉敷に行きました。今夜の宿、ドーミーイン倉敷に荷物を置き、桜草という和食の店に夕飯を食べに行きました。懐石料理を食べました。料理の写真はフォトチャンネルに載せましたので、よかったらご覧ください。お酒は冷酒「口説き上手」を。
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広島、松山、倉敷の旅:11月7日~10日、2017年 2日目

2017-11-13 15:11:40 | 旅行
11月8日(水)。アパホテルのバイキングの朝食をたっぷりと食べて、元気に出発しました。今日の見学の目玉は厳島神社と弥山登山。電車で宮島口まで行き、JRの宮島フェリーに乗って宮島へ。フェリーから朱の大鳥居が見えました。厳島神社は推古天皇元年(593年)に社殿が創建された古社。海上守護の神と言われ、現在の規模の社殿は1168年に平清盛によって造営されたそうです。その後も毛利元就によって庇護され、豊臣秀吉も武運長久を祈願したとか。宮島は島全体がご神体として信仰されているそうで、神社参拝の後に私たちが登った弥山も厳島神社と共に世界遺産に登録されています。





神社では、家内一同の健康を祈願し、桜の木で作られたご飯べらを買いました。その後、歩いて25分ほどの紅葉谷駅から宮島ロープウェイに乗って獅子岩駅に到着。獅子岩展望台から下界を見下ろしましたが、ガスっていて海がほとんど見えず、ぼんやり島が一つみえただけでした。



そこから更に山道を登り、弥山本堂、霊火堂にお詣りし、くぐり岩、山頂まで行きました。山頂からの眺望も残念ながらでしたが、山の淑気に触れて記念写真を撮りました。帰りも同じコースで下山して、宮島の土産店でもみじ饅頭を一箱買って、ばら売りのもみじ饅頭を一つずつ食べながら、昼食の店を探しました。牡蠣うどんを食べましたが、牡蠣がとても美味しかったです。



その後、広島に戻り、電車で呉へ行き、呉港から石崎汽船のフェリーに乗り、松山観光港に向かいました。高速船は高いのでフェリーに乗りましたが、2時間くらいかかりました。暇だったので船内で俳句を考えてました。松山観光港から高浜までバス。高浜から伊予鉄の電車で大手町まで。大手町から道後温泉行きの電車に乗り換えて道後温泉まで行きました。今日は午後、乗継が多くて大変でした。ホテルはここだけ夕飯もつけた「道後グランドホテル」でした。ホテルのお風呂も温泉でしたし、夕飯が超豪華で頑張って食べましたが、鯛めしを残してしまいました。ここでも冷酒をいただきました。

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広島、松山、倉敷の旅:11月7日~10日、2017年 1日目

2017-11-13 14:25:20 | 旅行
11月7日から10日まで三泊四日で夫と旅行しました。広島、松山、倉敷と3回宿を変える慌ただしさがありましたが、私にとってはどこも初めての地で、楽しい旅行でした。
11月7日(火)
静岡発6時41分の「ひかり493」に乗り、広島へ向かいました。広島着9時56分。まず、7日の宿のアパホテル広島駅前大橋に大きな荷物を預けました。駅に戻って広電の1日乗車券を買って、原爆ドームに行きました。爆心地の島内科医院にも行きました。そこで現在も医院を経営されています。平和記念公園では、原爆の子の像、学徒戦没者の慰霊碑、原爆死没者慰霊碑などをまわって、最後に広島平和記念資料館に行きました。


平和記念公園は修学旅行生が多く、資料館内部にも多くの生徒児童がいました。展示の仕方はなかなかハイテクで、手で触れるとさっと画面が変わり、見たい箇所が出てくるコンピューターを使った展示が、今の子供向きだなと思いました。爆弾が落ちる前の大きな広島市街の航空写真に、原爆が落ちたときの様子が再現され、原爆の熱線、炎、きのこ雲が去った後には、一面黒焦げの広島の市街が現れました。地表温度は3000度~4000度にもなったとされています。焼けただれた三輪車、学生服、ワンピース、ねじまがったガラス瓶、変色した瓦など、いろいろありました。被災直後の人々の火傷の写真など、目を覆いたくなる惨さでしたが、実際はまさに地獄図だったろうと思いました。戦後70年以上が過ぎ、広島は綺麗に復興して街に活気がありました。この平和な暮らしを守らなければと思いました。

お昼は電車で八丁堀の電停で降りて、ガイドブックに載っていた「本家村長の店」で村長スペシャルというお好み焼きを食べました。夜は牡蠣料理を食べるつもりだったので、牡蠣を除いてすべて入っているのにしました。



昼食後、また電車で縮景園に行きました。縮景園は1619年に広島藩主として入国した浅野長晟が別邸の庭として作ったのが始まりだそうで、中国杭州の西湖の景色を縮景したともいわれています。大きな池を巡る回遊式庭園でとても美しかったです。大きな庭園でした。



その後、広島城は見学せず、夫の希望で広島県立美術館のブータン展を観に行きました。なかなか立派な展示でした。入り口にブータンの民族衣装を無料で着られるコーナーがあり、私たちも着てみました。韓国人のカップルと一緒になり、互いに写真を撮りあいました。フォトチャンネルに写真を入れましたので、良かったらご覧ください。(^^ゞ 男性の衣装はゴ、女性の衣装はキラといいますが、細かい手刺繍が素晴らしく綺麗でした。美術館は5時に閉まるので、私はお茶にしてゆっくりしたかったのですが、夫が収蔵品展も観ると言うので、急いで見て回り、疲れました。夕飯は、また電車に乗って「牡蠣小屋鉄ちゃん」に行きました。牡蠣コースを1人前に単品をいくつか取って食べました。お酒は三井松山とかいう名前の日本酒を飲みました。2人で6400円くらいでした。美味しかったです。

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高洲地区ふれあい祭り

2017-11-06 09:11:43 | コーラス
昨日は高洲地区ふれあい祭りで、合唱を披露しました。演奏曲は、東京物語からの6曲:東京ブギウギ、青い山脈、銀座カンカン娘、君の名は、お祭りマンボ、エピローグ・ここに幸ありでした。東京物語は全部で10曲からなる合唱組曲で、「前奏曲」、「りんごの唄」、「星の流れに」が最初の3曲ですが、昨日は途中の「東京ブギウギ」から「ここに幸あり」までを演奏しました。演奏は11時50分からの20分間が予定されていました。9時50分に大渕会館に集合し、杉浦先生のご指導で、直前練習をしました。3回通しで歌えたので良かったと思いました。本番は暗譜で歌えました。来秋の演奏会の演奏曲でもあるので、どのみち暗譜が必要でしたから、思い切って楽譜を見ないで歌って良かったと思いました。演奏終了後、いつものように皆で集合写真を撮り、女性陣は大渕会館で昼食会をしました。現在ソプラノは24名、アルトは17名、テノール8名、バス9名の計58名の大所帯の合唱団です。昼食後、来年度の役員をパート別に分かれて、協議して決めました。私は来年度事務局を引き受けることになりました。団長、副団長は今年度の人が継続してやってくれることになりました。入団して、3年にも満たない私が事務局という大任を務められるかちょっと不安ですが、誰でも最初は初めてですので頑張ってみます。今月の26日(日)にも藤枝市民会館の「コーラスの集い」で、同じ曲目を演奏予定ですが、制限時間内におさまらないようなら曲を減らすかもしれません。一つ本番が終わってほっとしました。話は変わりますが、2日は11月の句会でしたが、私の句は今一つでした。もう少し時間をかけて作句し、推敲して出すべきでした。一句のみ次点に入りました。^^;間島先生は「真剣にやらなければ、上達しません」とおっしゃられました。句友の一句に、「俳句とは命なりけり新松子」と詠んだ人がいて、その真剣な姿勢に驚きました。他にもとても勉強している人が何人もいて、やはりそういう人たちの句は違います。太極拳教室にも通い始めたし、合唱も頑張りたいし、俳句一筋にはいかず、でも、俳句は楽しく続けたいと思っているのですが。
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