最近読んでいる『日本のいちばん醜い日』という本は今まで自分が思っていた戦前戦後史の『常識』を大きく覆してくれました。天皇は事前に広島長崎に投下されることを知った段階でアメリカと独自の交渉をし、自らの金塊を含む全ての金融資産を守るために原爆投下による広島長崎の多くの人々の命を交換条件にした可能性があると本書は指摘している。特に『醜の章 広島にどうして原爆がおちたのか』は必読です。天皇は広島長崎については以下に紹介する言葉しか述べていないそうです。びっくりしました。
『日本のいちばん醜い日』鬼塚英昭 成甲書房 より引用
天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた。1975年10月31日、日本記者クラブとの会見のとき、アメリカ軍の広島への原爆投下に関する質問が出た。
天皇「エ…この…エ…エ…投下、された、ことに対しては、エ…エ…こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島…市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」
もう1人の記者が戦争責任について質問した。
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学的方面をあまり研究していないので、よく分かりませんから、そのような問題について答えかねます」
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/ca/e6d408a6aa9a419aa6a353964db9f562.png)
『日本のいちばん醜い日』鬼塚英昭 成甲書房 より引用
天皇は原子爆弾の悪口を一生語らず、生涯を終えた。1975年10月31日、日本記者クラブとの会見のとき、アメリカ軍の広島への原爆投下に関する質問が出た。
天皇「エ…この…エ…エ…投下、された、ことに対しては、エ…エ…こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、広島…市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」
もう1人の記者が戦争責任について質問した。
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学的方面をあまり研究していないので、よく分かりませんから、そのような問題について答えかねます」
これについては批評の書きようもない。「日本のいちばん醜い言葉」の一つであるとのみ書いておく。
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