おきると荘の書斎

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「のめり込み」と「外から見」

2016-05-27 00:52:00 | 小説
ゴミは溜まり尽してから捨てる派です。不本意ながら。


うさぎ小屋②

 こたつに腰鰍ッ改めて見回ると、酒瓶の棚はさっきよりも大迫力に感じられた。地味顔先輩はこたつの手前にある椅子に座った。丸い座面で細身な椅子で、壁際に向けて置かれた小さなPCデスク用のものだとすぐに分かった。
「今日はエチル倶楽部の部室へようこそ」と、僕から見て右側に座っている男子学生が言った。
「よろしくお願いします」僕の胸には少しの警戒がまだ残っている。
「こちらこそよろしく」と、今度は左側の男子学生が言った。
「まずは一杯、いかがかな?」右側の学生が眼鏡を直しながら言う。
「ありがとうございます」
「じゃあ、どれか好きなのを選びなよ」左側の学生はそう言うとこたつからゆっくりと立ち上がり、酒瓶の並んだ棚の方を指さしながら言った。
「日本酒はまだ飲んだことがないので全然分からないんですが」僕は正直に言った。
もっとも、日本酒以外の酒もまだ飲んだことがない。僕はこのエチル倶楽部なる場所で飲酒童貞を捨てようとしているということになる。
「そうかい。それじゃあちょっとこっちに来て」元左側の先輩が棚の方から僕を呼んだ。
僕は立ち上がって棚に近づいた。改めて色とりどりの瓶に圧唐ウれる。圧唐ウれた勢いでふと上を見上げると、棚と天井の間に突っ張り棒のようなものが挟まっている。
「ここからここまでが日本酒の棚。色々な地域の地酒からどこにでも売ってる安酒まであるから、とりあえずパッケージの見栄えと名前でどれか一つ選んでみて」
そう言われて、一本の瓶を試しに手に取ってみた。緑色の四合瓶に青いラベルが貼ってあり、銀の文字で製品名が書いてある。パッケージを見るに、どうやら滋賀県のものらしい。僕は一旦その瓶を棚に戻し、ひとつ下の棚に入っている別の四合瓶を取り出した。今度は茶色い瓶で、なんとなく見たことがある和紙風のラベルが貼ってある。
「これにします」と僕は言った。
「いいの? 2個しか見てないけど。慌てて決めることはないよ」椅子に座っていた地味顔先輩が言う。
「はい。このパッケージ、なんとなく見たことがあるんです。でも名前はあんまり聞いたことがないので、きっと初めての日本酒には丁度良いんじゃないかと思うんです」
「なるほど」こたつに残っている眼鏡の先輩が言った。「どこにでも売っている定番の安酒は避けるけど、ご当地限定のお酒にしてしまうと自分の中の基準値としては適切でないというわけだね。面白い選び方だ」
「じゃあ、お猪口に入れるからちょっと待っててね。今泉さん、お猪口取ってもらえる?」
「はいはーい」と言いながら、地味顔先輩は椅子から立ち上がり、デスクの隣にある小さな食器棚からお猪口を一つ取り出した。
「私もそれにする」今泉さんは自分が持っているお猪口を差し出した。
「そうだ、折角のお客さんチョイスだし俺たちもこいつにしようか」と、棚の所にいた男子学生が言った。
「そうだね。悪いけど注いでもらえるかな」と眼鏡先輩が言う。
「はいよ」と受けながら元左側の先輩が一つひとつのお猪口に瓶から酒を注いでいく。「これがまずはお客さんの分。それでこれが今泉さんので、これが田村の分。で、これが俺の分」
 全員の酒が注がれたので、改めて全員でこたつを囲んだ。僕から見ると、田村さんが右側で今泉さんが向かい側。元左側先輩はまた左側に収まった。
「じゃあさ、小嶋君から一言お願いします」と、今泉さんが言った。
「あれ、こういうのは女の子が言った方がいいんじゃないの」と小嶋さんが言う。
「今までの会話の中で小嶋君だけ名前が出てなかったから、自己紹介も兼ねてと思って」今泉さんは落ち着いた調子で言った。
「よく聞いてるもんだね。そういうことなら分かった…………では改めまして。エチル倶楽部は大学生活に小さな居場所と『それっぽさ』を提供する隠れ家的サークルです。宣伝も大っぴらにはしていないので、ここに入ってくる人はよっぽどの物好きか、もしくは部員に声をかけられた人ということになります。えー、まあそんなわけで、このお酒と違って基準としては相応しくないサークルかもしれないけど、少しでもゆったりして行ってもらえればと思います。乾杯」
「乾杯」唱和の後、僕は初めてのお酒を恐る恐る口にした。
液体が舌の上に乗ると、少しツンと刺激が走った。何とも言えない独特な味が舌に広がりピリピリとしてきたので、思い切って飲み込んだ。喉が少し温かくなった。
「それじゃあ、お客さんに自己紹介をお願いしてもいいかな」と、眼鏡の田村さんが言った。
「はい。猪島といいます。文学部です」
「おお、田村も文学部だよ」と小嶋さんが言った。「ロシア文学をやってるんだ」
「バリバリの文学系専攻なんですね」
「いや、違うよ」田村さんは笑いながら言った。「僕はほとんど本なんか読まないから、先生が優しい所に収まっただけ……猪島君はどうして文学部に?」
「恥ずかしい話なんですが、どこの学部が何をやっているかいまいち分からなかったもので。医者にも科学者にも先生にもなる気がないという風に絞っていったら、文学部しか残っていなかったんですよね」と僕が言うと、田村さんは優しく笑った。
「そうだよねえ。大学にいたって、自分以外の人が何をやってるかなんてよく分からないんだから……そういう意味じゃ、人生はそんな選択の連続なのかもしれない」
「さっきのお酒選びと一緒だね」今泉さんが言った。
「確かに。でも、そう考えると人生ってある程度既に決まってるような気がしてくるよな」小嶋さんが言う。
「どういうこと?」今泉さんが分からないという顔で聞き返す。
「だって、目の前に来る選択肢は毎回違うけど、『選び方』は人によってある程度癖が決まってるはずだからさ。その癖に従って選択し続けたら、ある程度行きつく先は予測できると思うんだけど」
「なるほど」田村さんが相槌を打つ。「つまり、分岐点で右の道を選びがちな人が道を歩き続けたら、10年後には元の位置よりかなり右側にいるだろうってことだね」
「そういうこと」と言いながら小嶋さんはクイっと日本酒を飲み干した。
「そういえば、このサークルのメンバーは3人だけなんですか?」僕は少し自分の胸を縛っている紐が緩んだような心地を感じながら聞いた。
「あと2人いるよ」今泉さんが言う。
「それでいて、3人いるとも言う」田村さんがすかさず付け加えた。
「どういうことですか?」
「2人とも女の子なんだけどね。そのうち1人の中にもう1人いるんだよ。いわゆる二重人格ってやつだね」
「そう。どっちも良い子なんだけど、大分印象は違う。あんまり常連じゃないけど」
「はあ」僕は漠然とした不安に襲われた。
「まあ、入る入らないはさて置いて、とりあえず今日は時間が許す限りゆっくりしていくといいよ」田村さんは呑気に言うと、後ろを振りかえってオーディオのスイッチを入れた。
のんびりとしたクラシック音楽が流れ始め、僕は時間が皮膚と服の間をゆっくりとすり抜けていくのを感じた。エチル倶楽部は間違いなく、大学生である自分に陶酔できる場所だったのだ。


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