老いてなお 生き生きと しなやかに しっとりと

老いても老いずの風情で、しかしその歳らしく、しっとりとした趣を醸しだせる女性でありたい。後期高齢者の仲間入りを受け入れて

長弟・次弟のこと

2021-07-31 09:50:42 | 思うこと

前回投稿から10日間も過ぎてしまった。

鹿児島市内在住の次弟が6月末に退院して2週間くらい、良かったねと安心していたら又具合が悪くなり救急外来へ運ばれて、低酸素脳になっていると聞く。

でも治療が早くて幸いにも5日くらいで一般病棟に移りましたと義妹からの電話があり、また喜んでいた。

所が1週間ほどで、タンが取れにくいので苦しそう、なので気管切開しましょうと言うことになったと、また電話を受ける。

何処からが延命治療になるのかわからない、本人は「延命治療はするな」と言っていたとのことで、義妹は「分かりませんからねぇ」と電話ぐちで言っていた。

息子は他県にいるので来れないし、電話でも相談すればいいのにと私は思っていた。

取り敢えず、26日(月曜日)に手術と決まり、佐世保在住の妹も25日午後私の家に来ていた。

隣の末弟夫婦と4人一緒に明日は早く出立しようと決めて休もうとしていた。其処へ、零時前熊本から電話があった。長弟が亡くなったと言っている。聞き返した。間違いなく、「息を引き取りました」・・・言葉が出なかった。

23日だったか、長弟の具合が思わしくないと義妹からの知らせが入ってはいた。

「緑膿菌が入って、なかなか好転しない」とのこと。

この時点で、緑膿菌の怖さを私たちは知らないでいたのだ。次弟の手術の件で頭がいっぱいで調べようともしなかった。そこまで急激に悪くなると想像できなかった。

急遽、私と妹は明日26日、熊本へ行き通夜に出て、隣の末弟夫婦が鹿児島へ行き手術を見届けて(実際見ることはできないが)27日の葬儀に駆け付けると言うことにした。

27日、全てが終わり自宅に戻った。

 

次弟の手術は、すぐ終わったようだった。その点は良かった。

29日、鹿児島の義妹のところに行った。

経過は良いそうだ。

手術をやるかどうか決められなくて、姪が兄に電話したのち担当の先生に「兄も医者なんですが、話してくださいませんか」とお願いしたら、すぐ代わってくださり、二人で話し合い手術が決まったのだとのことだった。

気管切開と胃漏はセットであるらしく、そこは私どもは知らなかったし、胃漏については10年前くらいのことしか知らないでいた。

今はまたどんどん医療も進んでいるのですねぇと義妹は言った。

ひとまず、こっちは良かったと思う。

長弟については、残念だった。何事も長男だし私は頼りにしていたのに・・・

本人も家族も、こんなにあっけなく逝くとは思いもよらずにいたと思う。

私が次弟のことを知らせようと電話したとき、声が変で「今苦しいので後で自分からする」と言って電話をいったん切った。それから電話が来ないので義妹に電話したり、それでもそこまで悪いとは知らなかった。1ヶ月ほど前から入院していたようだが、それを言わないから知らないでいた。

全て片付いてから看護師の従妹が言うには、緑膿菌が入ると悪くなるのは早いとのこと。

鹿児島の義妹も、結構普通の菌というかあまり特別でもないようだが悪さをすれば怖い菌らしいと言う。

お盆までは、何事も止めて家にいようと決めている。

 

ブログもしばらく休もうと思っています。

私のための記録です。ただ書くのみにしたいと思います。

ではまた、お会いしましょう

 

 

コメント
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