この地は、東洋一と言われるほどの陸軍の航空養成基地だったところで航空機も製作されていたという。
現在、ゆったりとした農村地帯で痕跡を探すのはむずかしそうだ。
そんな場所だからしっかり米軍の反復爆撃を受けたそうである。
しかし、その割には人的被害が小さかったとのこと。
独断で疎開させた司令官がいたからと書いてある。
軍規違反行為だろうなと思う。知ったうえで英断を下せる人というのはいるのだなと思う。
記念館に入るとすぐに97式戦闘機の展示がある。
博多湾で引き揚げられた実物だそうだ。
当時の新鋭機といえば全金属製低翼単葉引き込み脚というところだろうが、この機体は固定脚である。
少し遅れているが、運動性能が良く、名機だったそうである。
ただ、旧日本軍機というのは、零式艦上戦闘機(れいせん 通称ゼロ戦)があまりにも有名なんで名機と呼ばれてもね・・・
その零戦の展示もあり、操縦席を間近で見ることができる。
零は皇紀2600年正式採用、艦上とは、空母で運用するという意味である。
空母以外の艦船で運用する機体(ずばり水上機だな)は、艦載機と呼ばれたようであるが、水上機もすたれたし・・昔の区分だし・・
艦載機の方が一般的なのかな。
B29の展示もある。といってもこれは言わば”影絵”、金属パイプで実物の大きさが見られるように形作ってある。
それに対抗するのは二式双発複座戦闘機「屠龍」、大きさがわかるように床に色つけがされている。
体当たり攻撃でB29を撃墜したとある。
その一機を撃墜すれば戦争が終わるとかであれば、英霊として尊敬もしようが、そんなことは決してない。もう軍としての体をなしていないということだろう。
命を捧げて国を守った人たちがいたから今の日本がある。
それは否定しない。まさしくそうだろう。
しかし、礼賛的にそういうことばかりに目を向けると愚かしさを見落としてしまう気がする。
いろいろな意味でである。
技術面としては、生産力に勝るアメリカは、部品の共通化などによりさらなる量産化を可能にした。
生産力の脆弱な日本は、陸軍と海軍の装備に互換性がなく国としての軍がないような状況であった。
こういう姿勢というのは現在にも通じるところがあるかもしれない。
もう一度戦争をするためになどとはさらさら言わない。
戦争を良く知ることは重要だと思う。