牛島の藤 関宿 分流 その先っぽが見たい、立ちたい
春日部の隣駅牛島の近所の藤を見てきました。春日部はくれよんしんちゃんと藤を売りにしてるようですね・・?
自転車でと思いますが・・・
実は、レンタカーが借りられなかったので免許証を置いてきてしまったのです。身分を明かすものがありません(´Д`。)
駐輪場を紹介してもらい、そこで借りることができました。
マイニチ駐輪(048-752-2273)さんありがとう!
満開にはもう少しですね。
つつじにも花期の差がありますね。
庭園としてもいいですね。
イ~アル~サン・・・ で撮影中です。
花には国境なしというところでしょうか・・・ しかし、周囲はほとんど大陸語ですね。おどろき・・
花はよし、緑もまぶしいです。
少しだけ高いところから見下ろします。
早いつつじはもう終わりですね。
しゃくなげはまだかなり先です。
さわやか・・・
さ~ 関宿に向かいます。
おや、お寺に見事な藤ですね。 声をかけて撮らせてもらいます。(新川 無量院)
たまたまだったのでラッキーでした。
仏花もですね。
お寺を出てすぐ左折、土手の上の道を進みます。
菜の花の咲くのどかな小路です。 快適~(^^)
ままちゃりでかなりへとへとになりながら進みます。
橋を渡って千葉からです。 対岸は今来た埼玉。
関宿城も見えてきました。
城の前に行くのはここです。
船の舳先のような地形で江戸川と利根川を分けます。
この奥になるはずです。 立つことはできるんでしょうか?
この盛土の向こうが目指す”舳先”ですね。
立つことができました。
・・・想像どおりです。別にどうということもありません。 しかし、なにか到達感、達成感がありますね。
水は、利根川に向いて渦を巻いて流れています。
もちろん江戸川へも注ぎます。 左端に天守がのぞいています。
さらさらの砂です。 シルトを含んでいるようです。
建設材としてどうなんですかね? 少なくなくても塩分を含まない分高質じゃないんですかね。
足元には、明らかに工事作業員のものではない踏み跡があります。
去り際、ライダー二人に行き違いました。会釈をしてくれます。
似たようなつまらんことが好きな人もいるもんだな・・とひとりほくそ笑みます。
天守から望みます。
ここは人口河川ですね。
その昔、家康は太閤から江戸の地を賜ります。
もとより危険、その危険さがますます大きくなってきたのを恐れ、言葉巧みに辺境の地に追いやったということらしいです。
”うまく開発すればこんないいとこないよ! 徳川殿ならどうってことない”
”くそ~ たぬきをだまそうとするくそだぬきめ~ やったろうじゃないの!”
”ふん、できるもんか、くたばれ! もし、うまくやったらまた国替えじゃし、たまりかねて立ったら今度こそ・・謀反じゃ謀反じゃ・・くくく”
そんな口では語られないやりとりがあったんでしょうね。
広い関東平野を辺境の地にしてしまっている正体こそこの川のような大きな河川群ですね。
かなり大雑把に言って群馬の水は利根川として江戸湾に注ぎ、栃木の水は鬼怒川として銚子に注ぐ。
農業には水は不可欠ですが、多すぎるのは・・・
利根川は大雨の度に流域を洗い、普段から沼状の荒地を作ってしまう・・とほほ・・・
この状況を打破したのが利根川の水の大部分を鬼怒川に流してしまう河川の付替えという大土木工事ですね。
上の写真がその現場の一つです。
その後も河川の改修は行われ、鬼怒川は名前までも利根川に呑まれてしまいました。
水運の根幹として東北の物資を荒海の銚子沖を通らずに江戸に通せるという副次効果も・・・
やり手だね。
辺境の地を国の中心に作り変えていったんですね。 自然破壊があったのかどうか知りませんが・・
上の画の地も物資の集散場としておおいに発展したそうですが、今は見えませんね。
その賑わいがジオラマになっているんですが、著作権の関係で撮影できないらしいです。
三階櫓の天守があったのは事実らしいですが、詳細はわかりませんね。
ま~鉄筋コンクリートじゃなかったことだけは事実かな・・・
帰ります。
アゲンストがきついです。
川の流れからしても下り勾配のはずなのにまるで上っている感じです。
もう燃料もギリです。
やっとそばやを見つけ入りますが・・・ややや・・うまい感じじゃないし、暗いし・・・
出てきた蕎麦も想像どおり・・
細切れになってるし・・・冷凍麺をゆでて荒っぽくすすいだな~
という最悪レベルだったんだけど、それでもうまかったな~ 運動大切、贅沢は敵!
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