お寺ふぁん

写真撮ってきたから見て~♪ 程度の記事書いてま~す!

海の中道 志賀島

2012-01-22 | 日記

 今日は朝起きたとき既に雨。 昨日の青空が・・・あ~

 

 金沢に住んでいたとき、”弁当忘れても傘忘れるな!” という言葉がありました。

 福岡もそう変らんかも・・・

 

 昨日、宿酔いと青空に呼ばれて志賀島に渡ってみました。

 箱崎から海岸の工業地帯、倉庫街といった感じの道を通って海の中道に抜けます。

 この海の中道により志賀島は九州本土と陸続きになっています。 超有名なトンボロですね(^^)

 

 志賀島は周回道路で簡単に1周できます。 左周りしてみます。

 東と北は玄海灘の荒磯です。

 西に穏やかな海が広がります。

 

 蒙古塚

 ロケーションとしては抜群だと思うんですが、樹木が繁茂し、視界がききません。

 

 元寇の絵です。

 ”神のご加護” もあって勇猛なもののふが元軍を攻めています。

 

 たとえ風雨がなくともこの絵の状況は正確だったろうということを聞いたことがあります。

 元寇はいわゆる”棄民” であるとする説です。

 元は圧倒的な力をもって中国大陸を制しました。

 しかし、この状況は必ずしも安定ではなく、被征服民つまり不安の内包になったという見方です。

 根本的解消方法としては、危険勢力となりにくい地に追いやってしまうということがあります。

 攻撃対象の征服に失敗してもかまわないのです。 危険勢力の除去に成功という得るものがあるのです。

 実際元軍は農具など長期自活装備をしていて、兵も主に江南(南宋)や朝鮮の民で構成されていたようです。

 正規軍としての難民みたいなものですね。 専門戦闘集団である武士は強そうです。

 

 おだやかな海が広がります。 そのときは元の船がみちみちていたんでしょうね。(~~)

 こんな島、糸島の山の形などを見ると地殻変動の際の沈み残りかなと思ってしまいます。

 

 能古島はさながら江ノ島とでもいうところでしょうか・・・

 

 福岡市街が指呼の間です。

 

 「漢委奴国王」

 ほんとにこんなとこから出てきたの~? という見方もあるそうですが・・・

 

 大陸からの玄関口だったのは事実。

 今も。

 

 古今のスピードが出会います。 ほんとに右隅ちょっとですが(^^;ゝ

 

 新鋭さんですね。

 

 もうすこし長く、きれいな青空が欲しいですね。

 

 

 


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