先週見た”奇妙な”山容が気になります。
調べてみると日本三彦山のひとつ英彦山のようですね。
しかし、朝しばらく陽が出たものの、”いつでも降ってやるぞ!”と言わんばかりの空模様です。
部屋にいてもしかたないので出るだけ出てみます。
山が拝めなかったらお庭です。
八木山峠をにょろにょろと上り直進、またにょろにょろと下って飯塚に入ります。
道の駅いとだで小用、ん~野菜が安い! 最近スーパーで手の出ない大玉のきゃべつ200円とエリンギ80円につい手を出してしまいました。
山は無理のようですね。
雪舟のお庭、魚楽園を目指します。と言っても方向は同じみたいです。
縁台も座れません。もともと座るためのものかわからないですが。
秋色ですが、紅葉には1月ほど早いようですね。
大きな亀石でしょうね。
ここまででも十分いいですが、本番はお屋敷の中です。
魚鐸がかかっています。禅寺風ですね。
書院です。こちらからお庭を拝見します。
巨木、大木というほどのものではないでしょうが、楓としては大物じゃないでしょうか。
池奥のひと条は垂水です。静寂の中、水音が心地よいです。
できのよい水車です。指一本で回ります。
この水車も壊れています。
しかし、修復するにも職人がいず、朽ちるのを待つ状態となっているそうです。
それを庭の職人さんも嘆いていましたが・・・
自然に帰するのですね・・・
ご当主の奥さんでしょうか。
お茶を頂いてしまいました。
雪舟が頼った藤江氏は古い名家だそうです。
”じえい”年間から続くということでした。それは室町くらいですかと聞くと、雪舟が来たのが室町、そんなに新しくないということでした。
”じえい”は聞き違いで”じゅえい”(寿永1182~1184)のようですね。 鎌倉以前です。
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/nengou50.html
書いてある要約を乱暴に書きます。
岡山生まれの雪舟は戦乱に疲れ、中国の大内氏を頼ったが、絵画を修めるため大内氏の遣明船で47歳のとき明に渡った。
49歳で帰国したが、戦乱(応仁の乱)のため、京には帰れず、密かに糸島付近に上陸し、大分の大友氏を訪ねることとしたが、途中田川の藤江氏が有力なのを知りこの地に杖を置いた。
世が乱れていたんですね。
背景の山も借景でしょうが、視界がききません。
車に帰るとお客さんです。
蝶ネクタイでおめかしになっていました。
naviに帰路を聞くと、来た道を戻れと言います。
面白くないので朝倉方面に向かうこととします。「福岡」なりの標識が出たらそこで折れるようにするとします。
思いのほか早く「久留米」の標識が出ました。
国道322号です。”峠部分のトンネル着工を早期に”といった看板が出ています。すると・・・
山道に入るとかなりのくねくねです。八木山よりひどそうですね。
しかし、全線2車線(部分的に1.×車線がありました。)確保されていて心配しないで走れます。
ガスがかかっていて視界はききません。
対向車も合いません。今日だけかな?
たまに出会った大型乗用車はセンター割り加減です。地元の人は対向は無いと思ってるかも・・・?
車を停めて写真を撮る余裕すらある交通量です。
完全山道、ガスで視界悪し。ヘッドライトを点灯しての走行です。
越える峠は八丁峠、しかし、それらしいものは何もなく、いつ越えたかわかりませんでした。
やっと里道です。
お昼にします。
つゆの味が違うので食べ比べろということかと思いましたが、大盛だからつゆ2杯だそうです。
この雲上世界のどこかを越えてきたんだろうなと思います。建物はおそばやさんです。
おいしいそばやさんでしたが名前は失念しました。
英彦山はまたですね・・・
お寺ふぁんは別に寺ならなんでもいいと巡っているわけではありません。
九州のお寺は、”お寺めぐりしてます。”と言うと、”変わった趣味ですね”と言われそうな、単なる葬式施設的な感じが強いです。
もちろんよく知らない偏見が言わせている言葉ですが・・・
今日は寺でもないのに久々お寺ふぁんした気分です。
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